【門前編】和食の「淡」と日本酒の「淡」

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【門前編】和食の「淡」と日本酒の「淡」

今回は、平成25年(2013年)12月にユネスコの無形文化遺産に登録されました、「和食〜日本人の伝統的な食文化〜」がテーマです。「和食」の中には、もちろん日本酒も入っておりますし、和食の美味しさをさらに引き立てる存在が日本酒なのですから、やはり私達も、日本酒の知識だけでなく、和食全般についての知識を持つことも、今後はますます重要になってくるといえるでしょう。そこで今回は、「和食の『淡』と日本酒の『淡』」というテーマで、お届けしたいと思います。 【「和食」のユネスコ「無形文化遺産」登録、そして「日本酒」等も!】 まずは、ユネスコ「無形文化遺産」とは、そもそも何なのか、その概要について紹介しておきましょう。「無形文化遺産」とは、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が、2003年(平成15年)に採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」に基づいて実施している事業です。その目的は、グローバリゼーションの中で失われつつある世界各地の伝統的な芸能、社会的慣習、儀式、祭礼、行事、伝統工芸技術などの無形の文化を、国際的な連携のもとで保護することにあります。ユネスコは、世界中の条約締結国・地域から推薦された案件を審査し、条約の理念に適合すると判断したものを「登録」するのです。ちなみに日本は、2004年(平成16年)に無形文化遺産条約を締結し、2008年(平成20年)に「能楽」「人形浄瑠璃文楽」「歌舞伎」が初登録されて以来、2020年(令和2年)までに22件が登録されています。 そして、2013年(平成25年)に登録された、「和食〜日本人の伝統的な食文化〜」の概要は、文化的な特徴として、次の4点が示されています。 ➀多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
「日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で地域に根差した多様な食材が用いられています。また、素材の味わいを活かす調理技術・調理道具が発達しています。
➁健康的な食生活を支える栄養バランス
一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは、理想的な栄養バランスと言われています。また、「うま味」を上手に使うことによって、動物性油脂の少ない食生活を実現しており、日本人の長寿や肥満防止に役立っています。
➂自然の美しさや四季の移ろいの表現
食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の花や葉などで料理を飾りつけたり、季節に合った調度品や器を利用したりして、季節感を楽しみます。
➃正月などの年中行事との密接な関わり
日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域に絆を深めてきました。<出展:農林水産省ホームページ>
そして、令和2年(2020年)、日本酒等のユネスコ無形文化遺産への登録を視野に、文化庁と国税庁が中心になって調査が開始され、令和3年(2021年)1月18日第204回通常国会の菅総理大臣施政方針演説では、「日本酒、焼酎などの文化資源について、ユネスコ無形文化遺産への登録を目指します。」と語られました。そこから動きは一気に加速し、同年10月15日、文化審議会が「日本酒、焼酎、泡盛、味醂などの麹菌を使った日本の伝統的な酒造り」の技術を、日本における登録無形文化財とするよう、文部科学相に答申。そして同年12月2日、「伝統的酒造り」は無事無形文化財として正式に登録されるに至りました。これにより、「日本酒などの伝統的な酒造り」の、ユネスコ無形文化遺産登録への下準備が、全て整ったということになったのです。今後最速で推薦や審査などが成されれば、「日本酒などの伝統的な酒造り」は、令和7年(2025年)には、ユネスコ無形文化遺産に登録となるのです。「和食〜日本人の伝統的な食文化〜」と共に、「日本酒などの伝統的な酒造り」もユネスコ無形文化遺産に登録されることになれば、日本の食文化と共に日本の酒文化も、世界に向けてますます羽ばたいていく大きなきっかけとなることでしょう。 【和食はどうしておいしくなった?】 続いては、ちょっと以前の番組ですが、平成26年(2014年)11月26日のNHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」にて、「和食はどうしておいしくなった!?〜時代の主役たちが育んだ食の遺産〜」という番組が放送されました。ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。番組では、「和食の三大革命」として、①禅僧クッキングで悟る(精進料理)②武士たちの料理ショー(本膳料理)③茶の巨人が極めた“おもてなし”(懐石料理)の3つを紹介していました。その「和食の三大革命」について、以下に簡単にご紹介いたしましょう。 ➀禅僧クッキングで悟る(精進料理)
鎌倉時代、数多くの日本の僧侶たちが修行のため中国に渡りました。当時の仏教では肉食が禁止されていたため、野菜や穀類などの植物性の材料で、肉に近い味や食感を出すという調理法が中国で発達していました。これが「精進料理」で、その多様な調理技術と多彩な味付け方法が、帰国した僧侶たちによって日本に伝来します。そして修行僧の一人であった道元禅師は、さらにその「精進料理」の根底に流れる“調理人の心得”をも見い出し、書物にしたためます。これが「典座教訓(てんぞきょうくん)」であり、現在の「和食」の原点であるとも言える書物です。また“料理を食べる人の心得”も見い出し、書物としたものが「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」です。こちらは、「和食」の食事マナーの原点であるとも言えるでしょう。
➁武士たちの料理ショー(本膳料理)
足利尊氏が室町幕府を開いた頃、武士の権力は大きなものになっていました。ここから街道や海上交通が整備され、全国を結ぶ流通網が発達し、物の行き来が盛んになります。そこで鰹節と昆布が普及し、“だし”が誕生するのです。この“だし”のお陰で「和食」の味わいは深みを増して進化したといえるでしょう。そして、そんな「和食」の芽生えをさらに発展させたのは、当時実権を握っていた武士たちでした。権力の象徴とされた豪華な宴会を通じて、「本膳料理」と呼ばれる料理形式を確立させるのです。
➂茶の巨人が極めた“おもてなし”(懐石料理)
室町時代に誕生し、一大ブームとなった「茶の湯」。しかし、当時の「茶会」は茶より、食べ切れないほど豪華な「本膳料理」と酒が主役の宴会でした。こうした状況を憂えた安土桃山時代の茶人・千利休は、「精進料理」にヒントを得て「茶会」に合う料理を模索。利休は、季節の食材を使って最も美味しい状態で食べてもらうことが大切であるとして、「茶会」の前に茶をより美味しく楽しむための軽食を提供します。この料理が後に「懐石料理」となり、江戸時代には庶民の間にも広がっていきます。質素ながらも心のこもったその料理と給仕は、究極の“もてなし”として、日本人の心につながっていくのです。
【「和食」の究極の原点とは?】 「和食の三大革命」をご紹介させていただきましたが、ではこの三つの中で、「和食」の究極の原点といえるのは、どのあたりなのでしょうか?ちなみにここからは、私の勝手な解釈ですので、異論がある方もいらっしゃるでしょうが、その点は「個人の意見」としてご容赦いただきたいと存じます。では、先ほどとは逆に「懐石料理」から見ていきましょう。「懐石料理」の特徴は、「全部食べ切る(少量ずつ)」「出来たてをその都度運ぶ」「季節感や祝いの心など、言葉にならないメッセージを伝える」などで、現在の伝統的な「和食」のルーツとされています。確かにこれらは「和食」の大変重要な特徴ではありますが、しかし「和食」の究極の原点としては、いささか弱いと言わざるを得ないでしょう。 続いては2番目の革命。ここでは“だし”が誕生しています。確かに“だし”は「和食」の命とも言える大変重要な存在です。では、ここが究極の原点なのでしょうか?......ここで少し“だし”について、別のテレビ番組をご紹介いたしましょう。平成26年(2014年)11月12日にNHK・BS1にて放送された、「和食魅惑の世界」の第1回「だし〜日本列島を凝縮した味〜」という番組です。この番組では、室町時代の全国を結ぶ流通網の発達により、日本列島の北の海の海藻(=昆布)と、南の海の回遊魚(=鰹)と、山の森の茸(=椎茸)の三つを見い出し、“だし”が生まれたと語られています。ですから“だし”は「日本列島を凝縮した味」だという訳です。昆布のうま味は主にグルタミン酸(アミノ酸)、鰹節のうま味は主にイノシン酸(核酸)、干し椎茸のうま味は主にグアニル酸(核酸)です。そして、うま味物質は「うま味の相乗効果」といって、単独で使うよりも、アミノ酸系うま味物質(グルタミン酸)と核酸系うま味物質(イノシン酸やグアニル酸)を組み合わせることで、うま味が飛躍的に強くなるのです。ですから「和食」では、昆布と鰹節、または昆布と干し椎茸の“だし”を組み合わせて使うという訳です。まさにこの「うま味」の発見と「うま味の相乗効果」の発見は、「和食」の生命線であると言えるでしょう。......では、「うま味」自体、それ以前には存在していなかったのでしょうか? ここで「精進料理」のところに飛んでみましょう。道元禅師の「典座教訓」<参考:「典座教訓・赴粥飯法」(道元著全訳注:中村璋八・石川力山・中村信幸講談社学術文庫)>を、久々に読んでみました。その説明文には、以下の通り記されています。 「『典座教訓』には、禅の修行道場における食を司る典座の職責の重要さが記され、この典座が調理してくれた食事を頂く修行僧の心得を示したのが『赴粥飯法』である。道元は、両者の基本にあるものこそ仏道修行そのものであると力説する。飽食時代といわれる昨今の食生活を省みるとき、本書のもつ現代的意義は大きく、多くの示唆に富む必読の書といえよう。食と仏法の平等一如を唱えた道元の食の倫理。』 そしてその中には、「六味」という言葉が登場します。「苦、酸、甘、辛、鹹(塩からい)、淡」の六つの味のことです。中国では、五行思想に基づき、味は伝統的には「苦い、酸い、甘い、辛い、鹹い」の「五味」とされました。道元禅師はこれに「淡味」を加え、「六味」としたと、「歴史秘話ヒストリア」の「和食はどうしておいしくなった!?」でも紹介されていました。ちなみに「淡」とは、「食物の材料の持ち味をそこなわないように薄味にすること」であると、「典座教訓」の解説文には書かれています。ここでちょっと補足ですが、現代における「基本味」(他の味を混ぜ合わせてもつくることのできない独立した味)は「甘味、酸味、塩味、苦味」の四味に「うま味」を加えた「五味」ということになっています。「辛味」と「渋味」についてはなぜ「基本味」に入らないのかというと、これらは味覚神経ではなく、痛覚や温度覚で感じ取る味なので、厳密な意味では味ではないからです。ちなみに渋味は、口の粘膜が「縮められた」ような感覚になることから「収斂味(しゅうれんみ)」と呼ばれることもあります。 そして再び「典座教訓」に戻り、この書籍をよくよく読んでみますと、道元禅師の「六味」の話は、実は中国の書物である「禅苑清規(ぜんねんしんぎ)」からの引用なのです。また、道元禅師の時代から少し下った西暦1600年前後の中国の明朝時代に書かれた「菜根譚(さいこんたん)」という書物にも、「淡」という味が登場しています。「菜根譚」(中村璋八・石川力山講談社学術文庫)には次の通り書かれています。「醲肥辛甘(じょうひしんかん)は真味(しんみ)に非(あら)ず、真味は只是(ただこ)れ淡(たん)なり。」......これはつまり、「濃い味や肥えた味、舌をさす辛い味や甘い味は、本当の味ではない。真の味はただ『淡』だけである。」という意味になります。 私は、この「淡」という味を、単純に「材料の持ち味をそこなわない薄味」とは取りたくありません。もっと深い、素材そのもののスピリッツのようなものを抽出したような、淡い味わいの中にも複雑かつ精緻なものが溶け込んでいるような味が「淡」であると考えたいのです。そしてさらにこの「淡」こそが、実は「うま味」(の初期段階)ではないか、と考えています。中国のこの時代にも干し椎茸や干した海藻などが存在していましたから、それらの素材の持ち味を抽出すれば「うま味」となりますし、様々な野菜なども煮ることにより「うま味」は抽出できるのですから。ただし、その後の中国では、禅宗の衰退と共に、この「淡」という真味の追求は途絶えてしまいます。「禅苑清規」も中国では散逸してしまい、日本には「典座教訓」が残り、「菜根譚」も中国では消えてしまい、日本では盛んに読まれたことと同様でしょう。では、もともとの「淡」という味、つまり「うま味」(の初期段階)は、中国が発祥なのかというと、それは違うと思います。なぜなら、日本にも道元禅師以前から、干し椎茸や干した海藻、さらに鰹節(の原型)も存在していたからです。おそらく「うま味」という言葉はなくとも、「うま味的な味」が存在することには日本人も気づいていた、と考える方が自然でしょう。道元禅師が伝えた「典座教訓」、「六味」、そして「淡」という言葉の登場により、その存在に「淡」という「名前がついた」のではないでしょうか。そして時代を経て室町時代となり、鰹節の「淡」と昆布の「淡」が出会い、“だし”が誕生することになり、「うま味」の相乗効果の発見や、「うま味」という味の科学的発見につながっていく、ということなのではないでしょうか。 つまり、「和食」の究極の原点とは、「うま味」(の初期段階)である「淡」という味にある、と私は考えています。そしてその「淡」は、道元禅師により「名前がついた」かもしれませんが、実はそれ以前のさらに古い時代から、日本人はその存在に気づいていた、ということでしょう。 ちなみに、今回のテーマについて調べていく中で、私もこれまで混同して使っていたと気づかされたことがあります。それは、「うま味」と「旨み」(あるいは「旨味」)の区別です。特定非営利活動法人うま味インフォメーションセンター(https://www.umamiinfo.jp/)のホームページには、「間違いだらけの『おいしさの表現』」というコーナーの中に、「『うま味』と『旨み』は同音異義語」というパートがあります。ちなみに同音異義語とは、発音が同じで意味の違う2つの単語のことで、「意志」と「医師」、「牡蠣」と「柿」......などがあります。つまり、日常よく使われる「旨み」や「旨味」は、「おいしさ」を表していますが、一方「うま味」の場合は、「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」と同様に、味の要素である「基本味」のことです。「うま味インフォメーションセンター」では、「うま味」の発見者である池田菊苗博士が「うま味」と名付けたことに敬意を表し、そのように表記するように推奨しているのだそうです。「うま味」は、英語では「UMAMI」と書かれますが、「旨み」は英語では「Deliciousness」、あるいは「Palatability」と表現されるため、西欧の人達が混同することはありません。なお、かつては「うま味」と「旨み」は区別されずに使われていましたが、2002年に、うま味物質であるグルタミン酸と結合する「うま味受容体タンパク質」が、舌から発見されたことにより、「うま味」と「旨み」が同音異義語になったのです。 【日本酒の世界の「淡」とは?】 さて、ここからは、日本酒の話にスイッチします。皆様ご存じの通り、日本酒の世界にも、「淡」という言葉が存在します。「淡麗辛口」の「淡」です。まず、誤解しないでいただきたいのは、ここで「菜根譚」の「真味は只是れ淡なり」を振りかざし、「日本酒も『淡麗』こそが真の味だ!」などと言いたいわけではありませんので念のため。道元禅師のいう「淡味」も、「六味」の調和が取れていることが大切であるという表現の中に出てくるわけですから、「淡味」だけが本物だ、などとは言っておりません。ただし、昨今の食のブームのように、あまりに濃い味やあまりに肥えた味、舌を刺すような辛い味やベタ甘い味などの「醲肥辛甘」(じょうひしんかん)が過ぎる味は、食べ物であっても飲み物であっても、それは真味に非ずと思ってはおりますが。 私がここで言いたいのは、日本酒でいう「淡」も、ただ単に「薄い味」であると誤解されてはいないだろうかということなのです。確かに単に薄っ辛いだけの「淡麗辛口」の日本酒も、存在しないわけではありませんので、単純に誤解と断言することはできないかもしれませんが、少なくとも司牡丹でいうところの「淡」はそうではないと断言したいのです。日本酒の場合の「淡」も、もっと深い、素材そのもののスピリッツのようなものを抽出したような、淡い味わいの中にも複雑かつ精緻なものが溶け込んでいるような味が「淡」であるとしたいのです。それはたとえるなら、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七つの色の光を1ヶ所に集中して照らせば、最も「淡い」色である無色透明な白色光となるように......。 では、ただ薄っ辛いだけの「淡麗辛口」と、司牡丹でいうところの「淡麗辛口」との造りの違いはどこにあるのでしょうか。単純に辛口を造ろうとすれば、「でんぷん→デキストリン→オリゴ糖→ブドウ糖(グルコース)」をどんどんアルコールに変えてしまえば比較的簡単にできるのですが、それでは前者のただ薄っ辛いだけの酒になってしまいます。淡麗な中に潜むうま味や膨らみと、辛口のキレの良さを、いかにハイレベルでバランスを取るかという、絶妙なバランスが命になるのです。司牡丹酒造の浅野徹杜氏は、この絶妙なバランスを「富士山のように稜線がなだらかで美しい酒」と表現しています。これはつまり、ただ辛いだけの山も、ただ甘いだけの山も、どちらもヒョロ高い山となり稜線が美しくないという意味でしょう。たとえば超辛口の場合、薄っ辛い酒になりがちですが、「グルコース濃度」が極めて低い超辛口であっても、デキストリンやオリゴ糖などの他の様々な成分との絶妙なバランスが、なだらかな稜線を感じさせてくれる、そんな超辛口が富士山のような美しさを感じさせてくれるのだと、私は受け止めています。そして、そのような日本酒こそが、真の「淡」味を持った「淡麗辛口」であり、そのような日本酒は、酒だけ飲んだ場合はやや物足りなく感じるかもしれませんが、料理(特に和食)と合わせて飲んだとき、料理の素材そのものの美味しさを、“だし”のように下から支えて押し上げ、グッと引き立ててくれます。特に、新鮮魚介の美味しさを引き出す効果は絶大であるといえるでしょう。ついつい箸が進み、ついつい杯も進み、交互にやると止まらなくなってしまう......この美味しさを、私は「酌めども尽きぬ美味しさ」と表現したいと思っています。 ※本来は「汲めども尽きぬ」と書き、「物の数や量が極めて多い様」を表す言葉ですが、ここでは「何杯飲んでも飲み飽きない美味しさ」を表す言葉として、「酌めども尽きぬ」と表現させていただきました。