【門前編】「酒道黒金流」奥義「共感覚唎酒法」をさらに磨き上げる!

First part of the gate

前回は、これまで入門者の方々のみにしか公開していなかった「酒道黒金流」ならではの奥義のひとつといえる「共感覚唎酒法」について、「入門者外に奥義初公開!五感と表現力が磨かれる『共感覚唎酒法』!」というタイトルにて、入門者外の皆様に初公開させていただきましたが、今回はその技をさらに磨き上げるための情報などを、新たに提供させていただきたいと思います。ちなみに「共感覚」とは、「文字に色が見える」とか「色に音が聞こえる」とか、五感のうちの2つの感覚が同時に働く知覚様式のことで、「共感覚保持者」は何千人に1人程度の割合で存在しており、優れた芸術家などに多いと言われています。そして「共感覚唎酒法」とは、日本酒を唎酒する際に、その日本酒の香り(嗅覚)や味わい(味覚)を、カタチや色や風景(視覚)、擬音語・擬声語や音や音楽(聴覚)、手触りや身体感覚や擬態語(触覚)で表現してみるという、これまでになかった唎酒法です。このトレーニングを重ねていくことにより、唎酒能力がアップするのみならず、嗅覚や味覚が鋭敏になり、あらゆる感覚が研ぎ澄まされていき、五感や表現力が磨かれていきます。さらにトレーニングを重ねていけば、第六感までも磨かれ、相手の言葉に惑わされずに本心を一発で見抜くことなども可能になり、コミュニケーションの達人になれるというほどの唎酒法なのです。 【「味ことば研究ラボラトリー」の「おいしい味の表現術」に学ぶ】 まずは、「おいしい味の表現術」(瀬戸賢一編味ことば研究ラボラトリー集英社インターナショナル新書2022年2月12日発行900円+税)という新書本をご紹介いたしましょう。こちらの書籍は、味にまつわる言葉を研究している言語研究者集団、「味ことば研究ラボラトリー」の10名の先生方が、その研究成果を執筆されたものです。しかし専門書ではなく新書ですから、一般の方向けにとても分かりやすく、かつ大変面白く書かれています。編者の瀬戸氏は、「はじめに」にて、「いまや日本にいながら世界各国の食材からスパイスまでなんでも揃う。足りないのはことばによるオーダーメイドの味つけだ。もっと味を表現する努力をしなければ。それも真剣に。ことばの貧困は巡り巡って食の均一化と質の低下をまねきかねないから。」と語っています。そして、本書を出版した理由は、世の中が変わり、ことばが変わり、SNSなど環境が変わっておいしさを自分なりのことばで表現したい人が増えたからであり、そのような読者に味を表す豊富なことばを届ける、味の適切な表現手段を提供する、という新たな使命が「味研ラボ」に生じたからだといいます。さらにもうひとつ、「ヤバイ」の全国制覇に物申したい気持ちもやはり強いと語っています。そして「序章ことばから味へ・味からことばへ」も瀬戸氏が担当され、その中にて本書で使われている「味ことば」という用語を紹介しています。その意味は、「味を表す一般性のあることば」というもの。そのキモは、「一般性のある」という点で、あまりにも特殊な表現は、味を人に伝えるには不向きということで、「味ことば」は意味が共有できるものでないといけないと語っています。 【「おいしい味の表現術」に登場する共感覚表現】 そして、この「序章」にて、「共感覚表現」が登場しており、まさに我が意を得たりでした。瀬戸氏は、人には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感が備わっているが、それぞれの感覚には固有の知覚があり、その表現があるといいます。「明るい」は視覚、「うるさい」は聴覚、「甘い」は味覚などというように。ところが実際の運用にあたっては、しばしば表現不足が生じて、これを補うために各感覚はことばの貸借を行うのだと語っています。たとえば、バイオリンの音を「なめらかな音」と表現すれば、「なめらかな」は本来触覚のものなので、触覚が聴覚に表現を貸した共感覚表現となるというのです。このような貸借関係は、五感の間での組み合わせをすべて挙げれば(5つの感覚ひとつにつき4とおりできるので)20とおりできるが、各組のやりとりは均一ではないといいます。貸し手となることが多い感覚と、主に借り手に甘んじる感覚があり、これは各感覚に固有な表現の数に多寡があるからだというのです。たとえば本来的に嗅覚の表現は多くないし、聴覚も擬音語を除くと、いくつ数えられるだろうと語るのです。形容詞類では、うるさい、やかましい、騒がしい、静かな、などが挙げられるだろうが、すぐにあとが続かなくなるといいます。ちなみに「大きな音」というのは、気づきにくいかもしれないが、これも共感覚表現だというのです。「大きな」は、空間に関する視覚表現だといいます。音そのものに、たとえばメジャーで測れるような大きさはないのだと。また、英語で「big sound」というのも同じであり、共感覚表現は世界中のことばで確認され、表現のメカニズムもだいたい共通することがわかっていると語るのです。 そして、味覚は貸し手にまわることもあるが、圧倒的に借り入れが多いのだといいます。これはどうしてかというと、確かに基本五味の表現があり、より一般的な「おいしい」などもいくつか存在するが、私たちの舌の欲求はとどまることをしらず、新しい味、珍しい味、グルメな味と出会うと、違いをはっきりさせるために、ことばのハンティングをはじめるからだというのです。そんな味覚の共感覚の4つのパターンは、次のとおりです。

①<触覚→味覚>…軽い味②<嗅覚→味覚>…香ばしい味③<視覚→味覚>…薄っぺらな味④<聴覚→味覚>…静かな味
①~④はすべて、味覚以外の感覚を原感覚(表現の貸し手)として、味覚に表現を提供するパターンであるが、けっして対等ではないといいます。②と④は実例が乏しいのに対して、①と③は豊かであるというのです。①の触覚が原感覚になる味覚表現が多い、というのは意外かもしれないが、触覚は分業が進んでいて、温覚・冷覚・痛覚・圧覚などのほかに、テクスチャーの知覚もあるのだといいます。素材の硬軟や乾湿を判断する役割を担い、これらを表すことばも多種多様だというのです。オノマトペ(一部は聴覚とも関係する)のパリパリ、サクサク、しっとり、なども豊富であると語っています。では③の視覚はどうかというと、すぐに気づくのは、「深み」と「広がり」であるといいます。比較的平凡な言い回しだと感じるだろうが、「深み」も「広がり」も「味ことば」としては欠かせないのだというのです。両者が平凡だと感じられる理由は、たいていの視覚表現の特徴だからであると語っています。結論的にいうと、確かな数字は示せないが、視覚の表現が他の4つの感覚を上回って数がもっとも多いからだというのです。これは、主に知覚感覚器官としての目の働きの多様性と重要性を反映するからだと考えていいと語っています。そしてさらに、視覚表現が際だちにくいのは、日常言語にあまりにも広く深く浸透しているからでもあり(「広く」も「深く」も視覚表現)、ことばの基礎となっていると考えていいだろうと語るのです。そして、①~④を総合した実例として、次の文章を挙げています。 わたしは一体、白焼が好物で、蒲焼よりも好きなくらゐだが、野田岩の白焼はさすがによかった。あたたかくて淡泊で、口中でほろりと崩れ、可憐な風情で溶けてゆくのだ。(丸谷才一「食通知つたかぶり」) 「あたたかく」は触覚、「淡泊」は視覚、「ほろりと」は触覚、「崩れ」は触覚と視覚、「可憐な風情」は視覚、「溶けてゆく」は触覚と視覚であり、これらがすべて味覚に合流すると語るのです。 【「コク・キレ・のどごし」、「生」、「味の『宝石箱』」、「うまいとおいしい」】 続いての「第一章」は宮畑一範氏が担当され、「コク・キレ・のどごし」の味を、解明に導いており、酒類の味わいの表現に大変参考になります。まず「コク」とは、油脂成分が主体で甘味と熟成味に支えられた味が口中で立体化して、濃さを増しそのまま長くとどまる経時変化であると語っています。次に「キレ」とは一言でいえば、味がすっとなくなる変化であるといいます。感じている味がさっと消えるか、酸味(や塩味)あるいは(適度な)香辛料の刺激がほかの味のなかを一瞬でかけぬける、これが「キレ」の正体だと語るのです。そして「のどごし」は、軽快にのどを通り過ぎる滑らかな心地よさのことで、とくに冷たい物の場合それが涼感として感じられると語っています。 お次の「第二章」は、再び瀬戸氏が担当し、「『生(なま)』の味と魅力」について解説されており、これまた酒類表現の豊かさに貢献してくれます。「生」には主に次の4つの意味があるとし、これで「生」のすべての意味が網羅されたわけではないが、食についての意味はすべて揃ったといいます。また①~④はけっしてばらばらではなく、ひとつのネットワークをなす、つまり①を中心的な意味として、②~④はその派生であると語るのです。

①<食材が>火を通さず新鮮なさま。②<食材以外の食べものが>火を通さず新鮮なさま。③<食材以外の食べものが>火を通さないさま(に似た)④<加熱した食べものが>火の通りの中途半端なさま。
ちなみに日本酒の「生酒」についても取り上げられており、その「生」は、基本②の意味だが、その味わいは③ともつながるだろうといい、この点は、同じ米から造った焼酎と比べると、よりはっきりすると語っています。日本酒が醸造酒なのに対して、焼酎は蒸留酒。つまり加熱によってアルコール分を気化させて、それを回収する。このため焼酎は、近ごろは雑味のない高品質のものが出回っているとはいえ、とくに生酒と比べると、味がストレートだ、つまり変化せず、ひとつの味がずっと続くのだといい、もちろん原材料(米や麦や芋など)と造り方によって味の違いが楽しめるが、音に喩えると単音ではないかと表現されています。これに対して日本酒の質のいいものは、口中で和音が響き、そしてその音色が調和しつつ微妙に変化すると語るのです。 続いての「第三章」は、辻本智子氏が担当し、「味の『宝石箱』のヒミツ」について語られています。ことばによる味の表現の根幹を明らかにし、同時に、この章は比喩…とくにメタファー(隠喩)…の仕組みの基礎が解説されており、「共感覚唎酒法」のブラッシュアップに大変役立つ内容です。そのもととなっているのは、グルメリポーター彦摩呂さんの代名詞ともいえるフレーズで、本人があるインタビューで、このテッパンフレーズの誕生秘話を明かしているとして、次のように紹介されています。 北海道のロケに行って、魚市場の賑やかな市場食堂で海鮮どんぶりが出てきまして。その輝かしい新鮮な刺身たちを見て、「うわぁ、海の宝石箱や~!」と言うたんですよ。(中略)イクラがルビー、アジがサファイア、鯛がオパールみたいに見えたわけです。(NEWSポストセブン「彦摩呂『〇〇の宝石箱や~』はマンネリ打開のためだった」) 刺身の輝きを宝石の輝きに見たてるというのは、まさに正統派メタファー(隠喩)だといいます。そしてこの章では、味を「もの」、素材を味の「入れ物」に見たてるメタファーを中心に、状態の変化を内から外へのものの移動に見たてるメタファー、味を「生きもの」に見たてるメタファー、ある程度持続する状態を「距離」に見たてるメタファーとの関係について、実例を紹介しながら考察しています。「出てくる」「引き出す」「閉じ込める」「取る」「広がる」といった、ごくふつうの、まさか比喩表現とは誰も思わないような言い回しにも、メタファーが隠れているといい、このような隠れたメタファーの威力は実ははかりしれないと語るのです。 お次の「第四章」は、稲永知世氏が担当し、「女の『うまい』・男の『おいしい』~男性しか『うまい』と言わないのか?~」というタイトルで、「味ことば」でもっともよく用いられる「うまい」と「おいしい」に集中して、その特徴を明らかにしています。そのデータは、漫画を中心にテレビ番組などからも取り上げられており、大変分かりやすいものとなっています。 【「マンガな味」、「カレーなるおいしさ」、「ラーメンの味ことば」、「お菓子のオノマトペ」】 そして「第五章」は、山口治彦氏が担当の、「マンガな味~ジャンルに根ざした味覚の表現~」で、漫画で味を表現するにはどのような手段があるかに焦点を当てています。登場人物のセリフ、つまり吹きだしだけではなく、モノローグ(おもに主人公の心のなかでの反応や述懐)を利用したり、味のイメージを心象風景として描写するという手段にもでると語っています。

●説明ゼリフ:「むうう、すごい酒だ!人間の持つ味覚のつぼ、嗅覚のつぼ、そのすべてに鮮烈な刺激を与えて、快感の交響曲が口腔から鼻腔にかけて鳴りひびく……」(雁屋哲/花咲アキラ「美味しんぼ」57巻)

●モノローグ:「まるで俺の体は製鉄所胃はその溶鉱炉のようだ」(久住昌之/谷口ジロー「孤独のグルメ」第8話)

●心象風景描写:「森……?ここは森だしかしブルゴーニュワインに感じたような静けさは感じないもっと生き生きと葉を繁らせ獣たちがたわむれるいわば陽性の森この道はどこへ続くんだ……この先に何がある?木々の向こうに何かが見える巨大な何かが……」(亜樹直<あぎただし>/オキモト・シュウ「神の雫」6巻)

「神の雫」の例は、ボルドーの五大シャトーのひとつ「シャトー・ラフィット・ロートシルト」の味を見きわめようとする主人公の試みを、迷いこんだ森を歩くという行為に喩えたもの。メタファー(隠喩)を介した比喩的な表現です。そして次の場面では、その森の向こうに偉容を誇るノイシュバンシュタイン城が姿を現します。「ラフィット・ロートシルト」というワインは、巨大な城に喩えられるほどの味わいの深さとたたずまいを持つというのです。 続いて「第六章」は、小田希望氏の「カレーなるおいしさの表現」で、カレーライスの表現について取り上げられており、「見た目」と「味」と「香り」の3つのポイントからおいしさを表す表現を探っています。特に、「味」と「香り」には、共感覚表現も多用されており、酒類の表現の参考になるものも少なくありません。

「至高のカレーに比べると厚みがないというか、深みがないというか……」(雁屋哲/花咲アキラ「美味しんぼ」24巻)
「繊細だけど脆いわけではなく芯の強さも感じさせる味わい」(南場四呂右<なんばしろう>365カレー[∞])
「脳の食欲をつかさどる部分をダイレクトに刺激する香りが一気にたち、広がった」(乾ルカ「カレーなる逆襲!」)
「スパイシーなだけではなく、重厚で王の風格すら感じさせるフレーバー」(乾ルカ「カレーなる逆襲!」)
お次の「第七章」は、山添秀剛氏による、「ラーメンの味ことば」。この章では、「ラーメンの味をXでたとえる」という手法が紹介されており、「共感覚唎酒法」のブラッシュアップにも大変役立ちます。唎酒の際の香りや味わいを、様々な「X」でたとえて表現してみることで、表現力が磨かれていくことでしょう。

●「X=格闘技」:「辛味噌のボディブロー」、「パンチのあるヘビー級の味」

●「X=自然」:「吹き荒れる旨味の嵐」

●「X=動物」:「豚骨のコクが駆け抜ける」

●「X=人間」:「紳士的な煮干しラーメン」

最終章「第八章」は、武藤彩加氏の「お菓子のオノマトペ」。「ポッキー」や「ハイチュウ」などの巧みなネーミングは、オノマトペ(擬音語・擬態語)を感じさせます。オノマトペは触覚の一部のテクスチャーに関係し、しばしば聴覚とも連動しており、味世界でのオノマトペの広がりに気づくと驚くはずだといいます。そして、日本語は韓国語などに次いでオノマトペが豊富な言語であり、「日本語オノマトペ辞典」(小野正弘・編)には約4,500語が収録されているというのです。豊富なオノマトペにより、日本語では個々の感覚をより微細に効率よく表すことができると語っています。また、オノマトペには単一の感覚でおいしさを表すものと、複数の感覚でおいしさを表すものの、2つのタイプがあることがわかったのだといいます。

●「視覚」のみでおいしさを表す(「キラキラ輝くゼリーケーキ」「栗タップリ」など)

●「触覚」のみでおいしさを表す(「シコシコした味わい」など)

●「嗅覚」のみでおいしさを表す(「抹茶の香りがプンプン」など)

●「味覚」のみでおいしさを表す(「バターでこっくり、濃厚かぼちゃプリン」など)

●「聴覚」のみでおいしさを表す(聴覚のみで食品のプラス評価を表す例は見当たらない)

●「視覚」と「触覚」で表す(「アツアツ」「フックラ」「プリプリ」「ツブツブ」など、多数)

●「聴覚」と「触覚」で表す(「コリコリ」「サクサク」「シャリシャリ」など、多数)

●「味覚」と「触覚」で表す(「カッカ」「ツンツン」「ヒリヒリ」「ピリピリ」など)

●「視覚」「触覚」「聴覚」で表す(「グツグツ」「プチプチ」「サラサラ」「ツルツル」など)

●「視覚」「触覚」「味覚」で表す(「ズッシリ」「スッキリ」「コッテリ」「ズドーン」など)

●「触覚」「嗅覚」「味覚」で表す(「スース―」「スーッ」など)

【「ドレミファソラシは虹の七色?~知られざる『共感覚』の世界~」に学ぶ】 そしてもう一冊、「ドレミファソラシは虹の七色?~知られざる『共感覚』の世界~」(伊藤浩介著光文社新書2021年3月30日発行840円+税)という新書本も、ご紹介しておきましょう。本書は、気鋭の脳科学研究者が、ドレミファソラシが虹の七色になるという共感覚の現象をもとに、音階がなぜ色を持つのか、そしてなぜそれが虹色になるのかという問題の答えを探る知的な探検の書です。ゆえに本書の主題は、「共感覚唎酒法」のブラッシュアップにつながるような内容ではありませんが、過去から現代、一般の方から著名人まで、共感覚保持者の表現例が多数紹介されていますので、彼らの感覚から学ぶべきものがあると感じ、紹介させていただくことにしました。

「その音はもっとオレンジ色に!!」(マエストロ・佐渡裕)

「音楽を聴くと心の中で色が動くのが見える」(オリヴィエ・メシアン)

「先生はピンク色です」(Tさん)

「完全五度の音程を聴くと立体図形が思い浮かぶ」(Yさん)

「聴こえる音の高さに応じて様々な色が目の前に出現する」(Fさん)

Fさんは、テニスのラケットでボールを打ち返すと、その打音に「青」が見えるそうです。そして、「テニスコートは緑色でボールは黄色なのに打音が青なんて、色の組み合わせが気持ち悪いです」と、テニスをやめてしまったといいます。また、例えば、「+」だったら増加するとか、いいイメージなので赤なのだとか。反対に「-」は減少とか、あまりいいイメージではないのですぐに青が出てくるそう。他にも、漢字には色があるといいます。「左」は青で、「右」は赤といった感じで、もし色が反対だったら落ち着かないそうです。Fさんは、「わたしが思うに、そんな感覚はみんな持っていますよね??」と語るのです。さらにFさんは、二歳からピアノを始めたこともあって、正確な絶対音感があり、音を聞けばすぐに音名がわかるのですが、それと同時に、目の前の風景をクレヨンでバーッと覆うように塗った感じに色が見えるのだそう。何色が見えるかは音の高さにより、例えばドなら赤が見え、レならば黄色、ミはオレンジ、ファは青、ソは黄緑に近い緑。テニスラケットでボールを打つ打音がファなら、プレー中にボールを打つたびに青が見えるのだとか。この色は、高い音ほど視野の右の方に見え、例えば鍵盤の真ん中のドとそのすぐ上のソが同時に鳴り「ドソ」が聞こえると、視野の左側に赤(=ド)、右側に緑(=ソ)が見えます。そしてドが1オクターブ上がり「ソド」の組み合わせになると、左視野には何もなくなり、中心に緑(=ソ)、右に赤(=高いド)が見えるそう。シャープ(♯)やフラット(♭)の付いた黒鍵(こっけん)の音は、水平線より少し上の方にずれて見えるのだとか。音を聞くだけではなく、楽譜を見ても音符に色が付いて見えるし、数字や文字などにも色があるといいます。例えば3は緑であり、333という数字は緑色の3が並ぶので“すごく緑”に感じられるそうです。また、音楽大学に勤めるTさんは、音に対して色のイメージが浮かぶだけでなく、色から音を感じる逆向きの共感覚もあるといいます(音から色を感じる共感覚と比べて、色から音を感じる共感覚はかなり珍しい)。例えば、日差しを浴びた桜の若葉の色からは、弦楽器のG(ソ)の音のトレモロが聞こえるそう。日本語の五十音表にも色があり、「あかさたな」のあ段は赤、い段は黄色、う段は無彩色(灰色)、え段はオレンジ、お段は青。また、松たか子は緑、石原さとみは白のように、人物にも色があるといいます。 著名人では、ノーベル物理学賞の受賞者、リチャード・ファイマンさんは、数式のnやxといった変数に色が付いて、講義室の空中を漂って見えたのだそうです。画家のフィンセント・ファン・ゴッホには、おそらく共感覚があったといわれています。同時代の画家を評して、ジャン=フランソワ・ミレーは荘厳なオルガン、オノレ・ドーミエはバイオリン、ポール・ガヴァルニはピアノのようだと語る感性が、いかにも共感覚的です。抽象絵画の先駆者であるワシリー・カンディンスキーも、音や音楽から色や形を感じ、また逆に、色や絵画から音を感じる共感覚者だったそう。また、彼にとって、円が赤、四角が青、三角が黄なことはあまりに自明で、教師を務めていた頃は学生にも当然のようにそう教えていたのだとか。文学では、「ロリータ」で少女性愛を描いたロシアの作家ウラジミール・ナボコフが、共感覚者として有名。子供の頃にアルファベットのおもちゃの色が間違っていると母親に文句を言ったエピソードが残るほか、いくつかの場で自らの共感覚について雄弁に語っています。作品中にも共感覚を示唆する表現が散見され、例えば小説「ベンドシニスター」の主人公クルークにとって、“忠誠”という言葉は、すべすべで淡黄色(たんこうしょく)の絹の上で日差しを受ける金のフォークを思い起こさせるのだというのです。また、次の彼らが共感覚を持っていたことを確認できる逸話や資料は残っていませんが、松尾芭蕉は、「海暮れて鴨の声ほのかに白し」と詠んでおり、共感覚をイメージさせます。「Aは黒、Eは白、Iは赤…」という書き出しで始まるアルチュール・ランボーの「母音」や、音や香りや色の異種感覚が混じり会うシャルル・ボードレールの「交感」は、共感覚的な世界を表現した詩として知られているのだそうです。 以上、本書に紹介されている共感覚保持者の表現例を紹介させていただきました。彼らの感覚や表現から、「共感覚唎酒法」のブラッシュアップにつながるような感覚や表現を、少しでも感じ取っていただけましたら幸いです。