【門前編】人は皮膚から癒される!〜非接触型社会の未来を選ばないために〜

First part of the gate

これまでにも何度か語らせていただきましたが、私は土佐の高知の一番のウリを、「食が美味しい!酒が旨い!人が明るい!そして世界一宴が楽しい酒国土佐!」であると思っています。しかし……そんな文化を支えるベースともいえる、世界一楽しい宴、「おきゃく(土佐流宴会)」文化が、消え去ってしまうかもしれないという危機感も、私は同時に抱いています。コロナ禍となっての約3年、同じ杯で酌み交わす返杯・献杯も、宴会での席の移動も、皿鉢料理の取り分けも、可杯(べくはい)や箸拳(はしけん)などのお座敷遊び文化も、土佐らしい密な宴席は何ひとつ実践できなくなってしまい、本当に絶滅してしまうかもしれないと本気で心配しているのです。既にアルコール離れが年々加速していたところに、コロナ禍が拍車をかけ、「飲み会なんか必要ない!」という声が堂々と聞こえはじめ、企業の飲み会も消え去り、会議もオンラインで済まされるようになり、世の中は「非接触型社会」にまっしぐらに進んでいるかのようです。しかし……本当に「非接触型社会」の未来を選ぶという選択でいいのでしょうか。そこで今回は、身体心理学の面から「触れ合い」の重要性について学び、そんな中で「密な宴席」の大切さについて考えてみたいと思います。 【コミュニケーションする皮膚】 今回参考にさせていただく書籍は、「人は皮膚から癒される」(山口創著草思社文庫700円+税2022年2月8日発行)です。この書籍は、桜美林大学教授で臨床発達心理士の山口創(はじめ)先生が、2016年に草思社より発刊した著作を文庫化したもの。そして、まず紹介されている実験は、米国の社会心理学者ジェームズ・コーンらによるもので、夫婦で実験に参加してもらい、妻の腕に軽度の電気ショックを与えたときの脳の反応を調べるという実験です(実際にではなく与えると予告したときの脅威の反応を調べる)。結果は、他人と手をつないだときや、誰とも手をつながないときに比べて、夫と手をつないだときの反応がもっとも弱くなったのだそう。この実験からは、親密な人から触れられると、脅威が軽くなるということが分かります。そして次に紹介されている実験は、米国の心理学者サイモン・シュナルらによるもので、実験参加者を傾斜のある坂のふもとに連れていき、その坂の角度について推測してもらうというもの。結果は、友人と一緒に推測した人は一人で推測した人に比べて、傾斜の角度を「緩い」と判断したのだそう。さらに、友人による傾斜の緩和効果は、友人関係が親密であるほど大きかったのだといいます。つまり、物理的にはまったく同じ傾斜の坂でも、親しい人がそばにいるだけで、それほど険しく感じなくなるということなのです。これと同じ現象は、「駅までの道のりの判断」「重い荷物を背負って上る階段の高さの判断」、そして「痛みに耐えられる程度」などについても起こり、親しい人が寄り添っていてくれるだけで、負担が軽く感じられることが分かっているのだといいます。 また著者は、皮膚は環境の変化により深部体温が変化するのを防ぐ最初の砦であり、脳が深部体温の変化を察知するずっと以前に、皮膚はその変化を感じ取っているのだと語っています。そして、皮膚で起こる血管と立毛筋の収縮(鳥肌が立つという現象)という二つの現象は、心理作用とも密接に関連しているというのです。また恐怖だけでなく、仲間はずれにされて孤独を感じた人は、指や鼻や額の温度までも下がることが分かっているのだそう。ストレスは体温を低下させ、それは代謝や免疫機能までも弱めてしまうということなのです。逆に皮膚が心を変える現象として、実験事例を挙げ、皮膚を温めると人との心理的距離が近くなることや、人を信頼しやすくなることなども分かっているのだといいます。皮膚を温めると心が温まり、人にも温かくなるということなのです。なぜこのようなことが起こるのかというと、身体的な温かさを感じると「島皮質」と「線条体」が興奮するが、これらの部位は心理的な温かさに興奮する部位でもあるため、他者に対しても温かい気持ちが高まることになるのだというのです。 また、皮膚には4種類の触覚の受容器があるが、近年あらたにC触覚線維という受容器が発見されたのだそう。これは、「触れて気持ちいい」とか「触れた感触が気持ち悪い」といった感情と関わる神経線維だといいます。このC触覚線維が興奮するためには条件があり、それは触れるものの速度と柔らかさが重要な要素で、速度に関しては、秒速3〜10cm(ピークは5cm)ほどの速度で動く刺激に対して最も興奮し、柔らかさに関してはベルベットのような柔らかい物質に興奮するのだというのです。だから人の手でゆっくりと手を動かしてマッサージをするような刺激に対して、興奮することになるのです。そして脳では「島皮質」や「線条体」といった、情動や自己の感覚や身体感覚に関わる部位に到達します。また、このC触覚線維の興奮は脳内ではセロトニン神経を活性化させることも分かっているのだとか。だから抑うつや不安の高い人にゆっくりした速度でマッサージをしてあげると、脳内でセロトニンがつくられて症状が軽くなるのだというのです。さらに最近の研究では、自閉症はこのC触覚線維の問題があるとも考えられており、実際、自身が自閉症で苦しんだ米国の動物学者は、「私が人に共感できないのは、快適な触覚刺激がなかったことが一因だと思っている」と述べているのだそうです。そして、このような研究結果などから著者は、「触覚は感情に直結している」と述べています。 さらに著者は、直接触れなくても、愛情を持って寄り添うだけで、皮膚はお互いを感じ、癒しに向けた治癒力を発揮するということも、同様に様々な実験事例や研究結果を挙げ、これを証明しています。たとえば、人の脳は親しい他者をあたかも自分の一部であるかのように感じているという、「自己膨張理論」などが紹介されています。また著者は、人は皆、養育者に触れてもらった記憶を皮膚が持っているのだと語り、相手が信頼できるか、助けてくれる人かどうかという感覚は、意識に上る以前の無意識の段階で皮膚が素早い判断をしていると考えられると語っています。そして、皮膚が情報処理をしているということは、数々の実験結果からも明らかであり、触れなくても近くにいる相手を感じ、判断している可能性があると語るのです。また、人間の愛着についてもこれまでは、たとえば「母親は自分が危険なとき、守ってくれる」というように、心の中に言葉やイメージのような「表象」としてつくられると考えられてきたが、しかし著者は、愛着というのはもっと原始的な皮膚の感覚を基につくられるものだと考えているというのです。つまり、愛着の対象になる人とは、柔らかく温かい皮膚で自らの体温を保持し、快い触覚を与えてくれる存在であり、しがみつくことができる体を持ち、抱きかかえてくれる腕を持っている人、として身体レベルで捉えなおすことができると思うと語っています。そして、「寄り添うことの効果」も、もともとは幼少期の親子のスキンシップが基礎になっているのであり、やはり触れ合いが人間の礎をつくるのだといえると語るのです。 【皮膚で交流する日本人】 続いて著者は、現代社会に生きる私たちの多くが、なぜ満ち足りた生活の中に生きづらさを感じてしまったり、閉塞感に苛まれて抑うつ的になっているのか、多様な価値観があるにも関わらず、生きがいを感じられなくなってしまうのか、なぜSNSの友達はたくさんいるのに孤独を感じてしまうのか......等々の原因について、人間同士の「境界」における、スキンシップとしての「触れ合い」の視点から考えてみたいと語っています。 もともと、日本人のスキンシップは奇妙であるとよくいわれるのだといいます。幼少期こそよく触れているものの、子供が成長するとまったく触れなくなってしまうのだとか。成人後は、握手やハグの文化もないため、恋人や夫婦以外の人と直接触れることはほとんどなくなってしまうというのです。ところが、かつての日本の文化では、このような成人のスキンシップの不足を補うための装置が備わっていたと著者はいい、それは皮膚の交流であると語るのです。日本人は常に人と人との交流の中に暮らしの中心を置いていたため、直接的に皮膚を接触しなくても、皮膚は他者を常に身近に感じていたのではないだろうかと語っています。ところが近年は、親しい人たちとの生活の場であるコミュニティが崩壊し、その一方で欧米流の「プライバシーの保護」が重視されるようになり、互いに干渉しないことをよしとする風潮が強まった結果、人との境界感覚はさらに強まっています。それに追い打ちをかけるように、近年ではSNSの普及によって、面と向かって交流しない関係も急速に増えています。そこでは境界としての皮膚の感覚を介さずに、直接的に情報が目から脳にインプットされます。あらかじめよく知っている人との間のSNSの交流ならまだよいでしょうが、それでも日常的なディスコミュニケーション(コミュニケーションが機能していない状態のこと)は常に起きていると、著者は語るのです。さらに、そこに長期にわたるコロナ禍が追い打ちをかけ、「非接触型社会」に向かって突き進む......。著者も、もちろんこうしたSNSなどのツールは便利なコミュニケーション手段であり、否定することはできないと語っています。しかし、その便利さや気楽さに慣れてしまい、面と向かっての交流が面倒だと感じるようになってしまったとしたら、それはどうでしょうかと語るのです。直接的に触れたり、近くで寄り添ったりして、境界の感覚を拓くことで起こる「心の反応」は、人としての生きがいや尊厳を保つために本質的な意味を持つと思うと、著者は改めて強調するのです。では、日本人が大切にしてきた、皮膚の境界感覚を拓く装置とはいったい何なのでしょうか。 【「流体としての境界」と「あわい」の境界感覚】 著者は、英国の社会人類学者ティム・インゴルドの境界についての興味深い見方を紹介されています。彼は、人間が住む複雑な世界をウェザー・ワールドと呼んだのだそう。人間の住む大地や大気の境界をどう捉えるかですが、まず「剛体としての境界」は、固体としての大地の上に(外部に)人間が存在し、その上に大気がのっているイメージだといいます。各々が確固とした境界に区切られ、接していることになります。しかし、実際の大気や大地の性質を考えてみると、地球から見れば流体としてのあり方が近いのだとか。これが「流体としての境界」であるといいます。地表面は大気と大地という二つの流体の界面であり、人間はその上でそれぞれの影響を受けている存在とみることができるというのです。さらにいえば、1人の人間の境界も同じように考えることができるといいます。人間を確固とした剛体としてみれば、人間は環境から隔てる境界を持ち、その内側に変動しがたい性格が宿っているというイメージとなり、従来の心理学の性格観はこのようなものであったのだそう。しかし、実際の人体の実に60%は液体であり、人間自身の境界である皮膚も流体のイメージの方がむしろ近いことになるといいます。すると人間というのは、自然や他者など様々なものにダイナミックに影響されている流体としての存在であり、性格というのはその時々刻々と変化する状況によって現れる、その人の1つの側面にすぎないという捉え方もできるというのです。 そして著者は、このような流体としての境界と似た概念を、日本語では「あわい」というと語っています。私たち日本人の境界感覚というのは、世界的に見ても特異だといい、日本人独特の「あわい」の境界感覚、つまり境界を曖昧にすることを美徳とするのだというのです。この「あわい」という言葉は、もともと「会う・合う」が語源だといいます。つまり、「分け・隔てる」ための境界なのではなく、むしろ相手と境界を共有することを前提にした言葉なのだとか。日本人にとっての境界は、「自己」と「他」というような互いに峻別することによる排斥関係ではなく、むしろ二者の境界を曖昧な状態にすることで未分化な混沌が生まれ、その中にこそ自己を感じられるといえばよいだろうかと、著者は説明しています。 そして、日本人はこのように、境界を出会いの場として捉えていたのだといいます。だから日本語には出会いの際に交わす挨拶の言葉は最近までなかったのだそう。東南アジアの多くの国もかつては同様だったようで、もともと確固とした境界を持たない民族にとっては、最初から他者と融合した感覚を持っているため、挨拶は必要なかったのだというのです。東京の街の境界は区切りとしての役割ですが、京都は通りを「区切る」機能としてではなく、むしろ通りが中心となり、二つの地域が「出会う」場所と捉えていたようだといいます。このような境界の特徴は、日本の家屋にも見られるとのこと。欧米ではプライバシーを守ることが最優先、境界は強固な壁で仕切り、部屋の入口には鍵をかけますが、それに対して日本では、衝立や襖、障子などで区切るだけ。特に衝立などは区切っていることの意思がわずかに感じられる程度のもので、区切る者と区切られる者の合意があって初めて成り立つような境界です。また日本の昔ながらの家屋は、環境である自然と家の内部との境界を、区切る場としてではなく、むしろ「出会いの場」として捉えており、そこに縁側という中間地帯を置いていたのだというのです。このように、「見られていること、聞かれていること、見えること、聞こえること」といった「人が住んでいる気配」を感じられる環境で生活することこそが、日本人にとっての安息であり、それが日本人にとっての住みやすい家だったはずだと、著者は語ります。決して個のプライバシーを守ることではなかったのだと。最近、シェアハウスやかつての長屋に住む人が増えているというのは、他人が住んでいる気配を感じながら住むこと、すなわち境界が拓かれた状態で生活することに憧憬を抱く人が増えているためであろうと思うと、著者は語るのです。 さらに著者は、こうした日本の家屋と同じように考えれば、人間の思考や感覚などの、俗にいう「内的世界」といったものは、実は内部に閉じられた現象なのではなく、「内的世界」とそれを包摂する「外的世界」が出会う境界という場、すなわちそれらに接している皮膚でこそ自然発生的に生じるともいえるのではないかと語っています。境界が持つこのような特質について、哲学者のスピノザは、「人間は頭で考えるのではなく、物の表面で考えるのである」と述べていると紹介しています。そして、つまり人と人、あるいは人と物の境界とは、本来的に無意識に行われている活発な相互コミュニケーションの場なのであると語るのです。 【日本人の「間人主義」】 俗に日本人は集団主義だといわれるが、社会学者の濱口惠俊(えしゅん)は、日本人の人間関係の特徴について、西洋型の「個人主義」に対する「集団主義」ではない、と述べているのだそうです(「日本型信頼社会の復権」東洋経済新報社)。彼によればたとえば職場では、個人を集団の中に埋没させて仕事の集団を優先するというのではなく、各人が互いに仕事上の職分を超えて協力し合い、それを通じて組織の目標の達成をはかり、それが翻って自分の欲求を満たして、集団としての充実につながるのが「日本的集団主義」なのだといい、これを「間人(かんじん)主義」というのだと語っています。 西洋の文化は、すべてを個人の力と責任で成し遂げることに価値を置くものであり、それには自己を律する強い自我が必要です。このように西洋の「個人主義」では、人に依存するよりも個々人が独立して社会を生き抜くことに価値を置き、人間関係それ自体に無条件に価値を置くものではありません。それに対して日本人は、自己を他から独立した「個人」ではなく、「間人」として捉えているのだといいます。自分を、人と人との「間柄」に位置づけられた相対的な存在であると感じる、自立ではなく、相互依存こそ人間の本態だという価値観なのです。この相互に信頼し助け合う価値観を「間人主義」というのだと。個人主義は、独立したAとBがそれぞれの領域を守りながら相互作用をします。それに対して間人主義の場合、AとBの生活空間は互いに重なり合っており、他者との相互に包摂するような関わりの中で、個人個人が主体性を確立し、そこにアイデンティティを感じているのだというのです。日本人は、「個人主義」でもなく、「集団主義」でもなく、「間人主義」の価値観に基づいて社会や組織に関わっているということです。そして、そのためには、境界の感覚がきちんと拓かれている必要があると語っています。 【触覚優先の日本人】 著者は、このような日本人に特有な人間関係というものについて、次に科学的な立場から理解を深めていきたいと語り、まずは人の「なわばり」感覚について取り上げています。人間は自分の身体の周りに「なわばり」として感じる空間を持っています。これを個人空間(パーソナルスペース)といいます。その分類は研究者によって多少異なるが、脳の空間の把握の仕方に基づいて分類すると、大きく3層に分かれるというのです。内側から見ていくと、まず皮膚の内側にある空間は身体空間、手を伸ばせば届く範囲の空間を近位空間、そのさらに外側の空間を遠位空間というのだとか。イタリアの脳科学者ジャコモ・リゾラッティは、脳は近位空間の領域内にある人や道具を特殊なやり方で把握していることを発見したのだといいます。そして、そのような空間を特にペリパーソナルスペースと名付けたというのです。ナイフとフォークを使ってステーキを切っているとき、そのナイフとフォークを自分の身体の一部であるかのように脳は捉えているのだとか。そして、同じことは人に対しても起こるのだといいます。親密な人が近い距離にいると、脳は相手の行動を見て、自分が行動しているかのように感じているというのです。そして、このようなペリパーソナルスペースは、生活している文化によっても異なっているのだといいます。世の中の見え方も、その人が生まれ育った文化によって異なるのだと。米国の心理学者リチャード・ニスベッドの実験によると、米国人は中心になる対象物に注意を集中させるのに対し、東アジア人は全体的な光景を見るのだといいます。しかも無意識に。日本人は、まず全体の雰囲気を感じるからこそ、それができず「空気が読めない」ことは、排除される格好の理由となるのだというのです。 これと同じように、生活する文化によってペリパーソナルスペースの感じ方も異なっているのだといいます。欧米人は何より視覚優先。ちなみにパプアニューギニアのパルティ族は、ペリパーソナルスペースは音で決まると考え、アンダマン諸島のオンギー族は、匂いで決まるのだそう。このように考えたとき、日本人のペリパーソナルスペースは何を基準に決まっているのかというと、科学的な研究はされていないが、著者は触覚ではないかと語っています。それは、日本語には手や触覚に関する漢字が非常に多いからだといいます。そして著者は、日本人が触覚でペリパーソナルスペースを感じているとしたら、人に触れたときの感触によって、境界を拓いて相手を内に入れるか、排除するかを決めているのかもしれないというのです。しかし実際には日本人は大人になるとほとんど人に触れなくなります。そこで、触れなくても皮膚が感じている感覚を頼りに、ペリパーソナルスペースを決めているとも考えられると語っています。 さらに著者は、育児についての研究事例などを挙げ、スキンシップというのは、異なる性質の液体が混ざる(流体としての境界)ことで起こる、不可逆的な心の反応であるといえると語っています。そして逆に、そのような反応が起こらなければ、本当の意味でのスキンシップとはいえないだろうというのです。あくまで一般論ではあるがとして、欧米のように親が子どもを厳しくしつけるような「基本的に縦の関係」ではなく、「おんぶ」に象徴されるように、共視の「基本的に横の関係」として、スキンシップをしながら子どもと関わる日本式の子育てというのは、子どもの境界の感覚を拓いて自尊感情を育みつつ、成長のための自由を与えられる、日本独自の仕方であると考えていると語っています。 【次世代へのヒントを探る】 そして著者は、日本の文化に根差した育児文化を沖縄の多良間島にみることができると語っています。そこで遊ぶ子どもたちの皮膚が拓かれていることに新鮮な驚きを感じたのだといいます。真っ黒に日焼けした多くの子どもたちが太陽の下、サンゴ礁が広がる海岸で、波に戯れながら遊んでいたのだそう。たとえば防波堤から2mもある海面に向かって次々と飛び降りるのだといいます。都会の感覚では「危ない」ととっさに止めに入りたくなるような場面だと。このときの子どもたちはまさに自然との境界をなくし、海中でも熱帯魚たちとともに泳いでいたと語っています。このような場面は、まさに土佐の高知の田舎においても、今でも普通に見られる光景であるといえるでしょう。 そして、大人はマラソン大会や運動会などの親睦会が頻繁に行われ、老若男女区別なく一体となるのだといいます。何より島では「八月踊り」という有名な祭りが最も盛り上がるのだが、そのための準備に島の住民が1年かけて一丸となって盛り上がるのだとか。さらに、酒は大人同士の境界をなくすための方法であると語るのです。島では「オトーリ」といって、親(バンカー)になった者が一人ひとりに酒を注いで回るのだそう。注がれた人はその場でその酒を飲み干さなければなりません。しかもオトーリに使うコップは一つであり、同じコップで同じお酒をまわし飲みしていく風習は、他者との境界感覚を一気になくす働きを持つのだというのです。著者も短時間のうちに、泡盛の濃度の高さと、濃密な人間関係の心地よさに、時間の感覚も麻痺して深夜まで楽しんだといいます。このあたりは、まさに土佐の高知の「おきゃく」文化そのものであるといえるでしょう。そして著者は、一方で都会での飲み会というと、最近では一人ひとり飲みたいお酒を注文し、それぞれのペースで飲む傾向が強くなったと語っています。鍋料理など皆で同じものをつつくのを嫌う若者も増えたといいます。話の最中でも、幾度となく手元に置いたスマートフォンをチェックし、自分の世界に入って境界をつくってしまうというのです。こうして現代の私たちの境界の感覚は、ますます固く閉じる方向に突き進んでいるが、閉じたからといってそれは欧米のような独立した個の感覚を持てるようになったわけでもない......否、私たちはそのような独立した個を目指しているのではないと著者は語ります。やはり、かつての日本の精神的土壌である「間人主義」の境界感覚はそう簡単に別のものにとって代わられるものではないのだというのです。そうであれば多くの人との境界を拓いて、人との関わりに全幅の価値を置く社会を目指すことが、日本人としての幸福を追求する上で必要なことではないだろうか、と。誰もが傷つき弱さを抱えながら生きている社会では、そのような対人関係の質がもっと求められる時代なのだと思うと、著者は語っています。 著者はこのように、日本人に限定して語っていますが、私はさらにもっと踏み込んでこの問題を考えてみたいと思っています。西洋式の資本主義文明と個人主義が限界に達したいま、あらゆる問題や災厄がまるでパンドラの箱を開けたときのように、世界中で噴出しています。そんな時代に、この日本人ならではの「間人主義」の境界感覚が、多くの人との境界を拓いて、人との関わりに全幅の価値を置くような社会こそが、次世代の人間のあり方の方向性を指し示しているように思えてならないのです。アルコール離れが進み、親密な集いや飲み会は消え去り、会議もオンラインで済まされるようになり、世の中は「非接触型社会」にまっしぐらに進んでいるかのようですが、今回ご紹介したとおり、身体心理学の面から見たならば、「触れ合い」や「寄り添う」ことが人間にとって極めて重要であることは明らかです。つまり、「非接触型社会」の未来を選ぶということは、ディストピア(逆ユートピア)の未来を選ぶということなのです。このことを、日本中に、世界中に伝えていくために、この国に、地球上に、土佐の「おきゃく」文化を残す、世界一楽しい土佐の宴を残し、それを世界中に向かって発信していくことに、大いなる使命感を私は抱いています。そして、「食が美味しい!酒が旨い!人が明るい!そして世界一宴が楽しい酒国土佐!」こそが、あらゆる災厄が噴出した後のパンドラの箱の底に残った希望であると、私は確信しているのです。