【門前編】「料理と科学」「日本酒と科学」のおいしい出会い<後編>

First part of the gate

【門前編】「料理と科学」「日本酒と科学」のおいしい出会い<後編> 今回は、前々回の「前編」、前回の「中編」に引き続き、宮城大学食産業学群教授で分子調理学を専門とされている石川伸一氏の著書、「料理と科学のおいしい出会い~分子調理が食の常識を変える~」(石川伸一 著 株式会社化学同人 DOJIN 文庫 2021年7月25日 発行 本体900円)という書籍をベースにさせていただいています。そして今回は、「フードペアリング仮説」についてや、「加熱調理と脳進化」について、「おいしすぎるおにぎり」について、そして「感性的な視点」について、皆さんとシェアさせていただき、そして、それぞれにおいて日本酒についても言及させていただきたいと思っています。 【フードペアリング仮説】 よく「日本料理は引き算の料理、フランス料理は足し算の料理」といわれていると、著者は紹介しています。日本料理は、余計な調理を極力省き、素材そのものの味を引き立たせることを優先させるのに対し、フランス料理は、多彩な食材を組み合わせ、深みのあるソースが味のベースになっているからだといいます。そして、この足し算の料理には、ある仮説が存在しているといわれているのだそうで、それが「フードペアリング仮説」であるというのです。フレンチなどの足し算の料理は、食材を何でもかんでも合わせればよいというわけではなく、食材どうしの組み合わせが極めて重要な役割を担っているのだそう。ソムリエなどはまさに、料理とワインを組み合わせる足し算のプロといえるでしょうと語っています。そして、特に異なる食材を合わせるうえで重要なのが香りであり、多くの異なる種類の香りが混在している料理は、あまり好まれない傾向があるというのです。たとえば、カレーとバニラアイスとオレンジジュースがそれぞれ好きだとしても、それらの香りが同時に漂ってくる料理は、おいしいとは感じにくいのではないでしょうかと語るのです。また、デパートの化粧品売場などで、いろいろな香水が混ざったにおいが苦手という方も結構多いのではないかと思うと語っています。このように、一皿の料理内で好まれる香りの数には制限があるため、「共通する香りを持つ食材どうしを合わせると統一感が出て、なおかつ深みのあるおいしい料理ができる(だろう)」というのがフードペアリング仮説の原理だというのです。 食材中に含まれる何百種類もの香気成分は、機械や人の鼻を頼りに分析され、その香りの種類や特徴などがデータベース化されているのだといいます。そのため、そのデータベースを活用すれば、科学的な食材の組み合わせを検索することが可能だというのです。たとえば、チョコレートとブルーチーズは、少なくとも73種類の共通した香気成分を持っていることがわかっているのだそう。そのため、チョコレートとブルーチーズを合わせることは一見無謀なチャレンジのように思えるかもしれませんが、実際合わせて食べると意外とおいしかったりするのだというのです。このフードペアリングのデータベースを活用し、食材の組み合わせを発見することができるウェブサイト<foodpairing.com>も登場しているのだと著者は語っています。このサイトでは、香り合わせのよい食材どうしを「フードペアリング・ツリー」というビジュアルで表現するため、科学的な知識がなくても感覚的にわかるように工夫されているのだそうで、実際に、シェフらもこのサイトを活用してメニュー開発をしているのだというのです。 そして著者が監修した、「香りで料理を科学するフードペアリング大全~分子レベルで発想する新しい食材の組み合わせ方~」(ベルナール・ラウースピーター・クーカイトヨハン・ランゲンビック 著 石川伸一監修 和田侑子訳 グラフィック社 2021年2月8日発行 5,280円税込)という、480ページ大型本の大著もあります。この大著の内容は、たとえば、「キウイは海のような香りがする」と感じたシェフの依頼で、キウイのアロマ・プロファイルを分析したケースでは、キウイにも牡蠣など貝類に含まれるアルデヒドが高濃度で含まれていたのだそうです。シェフはこの解析結果からキウイと牡蠣にココナッツミルクのソースを合わせた「キウイトル」という名作料理を作り上げたのだといいます。このような食材間の香りのつながりを「アロマ・リンク」と呼び、このリンクを持つ食材同士が「合う」という仮説に基づいて書かれたのが本書なのだといいます。本書には「ペアリング・グリッド」と呼ばれるカラードットの表が960種類も掲載されており、これは、ある食材と別の食材が、どのアロマ・タイプの香気成分を共有しているかを示した表なのだとか。これら多数のペアリング・グリッドを参照して食材間のアロマ・リンクを見つけ出し、それをヒントにレシピを創作していくのが本書の主な使い方なのだそうです。 さて、この大著では、「14種類のアロマ・タイプ」という分類が示されています。「フルーツ、フローラル、ハーブ、カラメル、ナッツ、スパイス、アニマル、シトラス、グリーン、ベジタブル、ロースト、ウッド、チーズ、ケミカル」という14種類です。日本酒のアロマ・タイプを考察してみると、吟醸酒タイプには「フルーツ、フローラル、ケミカル」などが主に含まれるといえるでしょう。また生酒タイプには、「ハーブ、シトラス、グリーン、ベジタブル」などが主に含まれるものが少なくないでしょう。そして、純米酒タイプの特に生酛系には、「チーズ」を思わせる発酵系の香りがあるものが多いといえます。さらに長期熟成酒タイプには、「カラメル、ナッツ、スパイス、ロースト」などが主に含まれるといえます。もうひとつ、樽酒にはやはり「ウッド」でしょう。最後に残った「アニマル」は、日本酒にも存在することがありますが、これは通常は異臭や異味と判断されます。この「アニマル」のアロマは、他のアロマにマスキングされる程度でしたら、日本酒に存在していても許されるではないでしょうか。こうして考察してみると、「14種類のアロマ・タイプ」全て、日本酒でもカバーできるといえそうです。それはつまり、日本酒はあらゆる料理に合わせることが可能であるといえるということになるわけです。そして、さらに視点を変えれば、フランス料理などの足し算の料理に「フードペアリング仮説」が存在しているのならば、日本料理の「引き算の料理のフードペアリング仮説」も、もしかしたら考えられるかもしれません。このあたりについては、「酒道 黒金流」でも今後さらに深く探求していきたいと考えています。 【加熱調理と脳進化】 ヒトの進化に関する最近の研究では、私たちの祖先が「火を使った調理」を覚えたことが、脳を大きくするうえでのターニングポイントであったと報告されているのだそうです。ブラジル・リオデジャネイロ連邦大学のグループの研究によると、様々な霊長類の体と脳の重さをカロリー摂取量と比較した結果、体や脳を大きく成長させるためには、やはりたくさん食べなければならないということが科学的に証明されたのだといいます。脳は、ヒトの臓器の中で体重の2%程度の重量を占めるにすぎませんが、エネルギー消費は体全体の約20%と「エネルギー喰い臓器」なのだそう。そのため、十分な栄養が摂取できなければ、脳は大きくならないのだそうです。ゴリラのような大型類人猿は、ヒトより体は大きいですが、生の植物や果実しか食べないため、今のような食生活ではキングコングのように巨大になるのは到底難しく、せいぜい体重を200kgぐらいにするのが精いっぱいなのだとか。さらに、摂取したエネルギーのうち、体の拡大や維持に使うエネルギーが大きいと、脳の拡大に回すぶんはおのずと少なくなります。そのためか、ゴリラの脳の重さは450g程度で、ヒトの脳の1,200~1,400gの3分の1程度の大きさなのだといいます。また、自然界で確保できる食料の量、食料を探す時間、さらに1日の食事時間などは有限であるため、体や脳の大きさにはおのずと限界値があるのだと、著者は語っています。 このように食料や時間などが制限された世界の中で、ヒトの祖先は、摂取したエネルギーを「体」に回すか「脳」に回すかの岐路に立たされたのだといいます。そのとき、私たちの先人は「体の大きさ」よりも「脳の神経細胞の数を増やす」というトレードオフによって、「脳重視」の道を選んできたのだそうです。さらに、原人であるホモ・エレクトゥスが「火を使った調理」を覚えたことがエポック・メイキングとなって、人類の祖先の脳のサイズは、250万年前から150万年前の間に400gから900gへと約2倍に急成長したのだとか。加熱調理が、その脳の拡大のリミッターを外す原動力であったといえるでしょうと、著者は語るのです。では、未加熱の食材と加熱した食材とで、「エネルギー効率」が本当に異なるのかというと、ハーバード大学の研究者らが、加熱調理で食料中の栄養成分の消化、吸収率が向上することを科学的に証明しているのだそうです。実験動物のマウスに生のサツマイモ・牛肉と、調理したサツマイモ・牛肉を与えた場合、同じカロリー量であっても、調理した食べ物を与えたほうが生の食べ物を与えたよりも体重の増加をもたらしたのだといいます。これは、食材を調理することが消化の肩代わりをし、それによってヒトがより高いエネルギーを得るようになったことを意味しているのだというのです。調理によるエネルギーの効率的な摂取が、より大きな体とより複雑な頭脳を持つ人間の誕生を可能にしたということを科学的に裏づける結果だと、著者は語っています。 現代の日本やほかの先進国を眺めてみると、食料を探して森中を歩き回る必要がなく、身の回りに食べ物がふんだんにある「飽食ワールド」となっているのだといいます。つまり、調理・加工することが、体にとってある意味「退化」を押し進めてしまった側面が、現代の食生活にはあるというのです。そして、現在の私たちにとってはおそらく、食材をシンプルに焼く、煮る程度の基本的な調理による食事が健康的なのでしょうと語っています。エネルギー効率が非常によすぎる加工食品の過剰摂取には、人間の体は適応できていないのだといいます。先進国での体の肥大化、すなわち肥満という「進化しすぎて退化」という現象は、生活習慣病による罹患率の上昇から、ほぼ臨界点に達しているように見えると、著者は語るのです。この点において、春夏秋冬、山川海、旬の食材が極めて豊富な土佐の高知は、鮮度抜群の食材が比較的簡単に入手できることなどから、あまり凝った調理法や加工法はなく、切っただけ、焼いただけ、煮ただけ……というように、素材の良さをそのままシンプルに引き立てる調理法がメインの食文化となっています。このような土佐の食文化は、「進化しすぎて退化」という現象が増加している現代においては、ある意味でもっとも未来を先取りした、先進的で健康的な食文化であるといえるのかもしれません。 そして日本酒についてですが、まず、「火を使う」という技術が発見されなければ、日本酒は生まれなかったといえるでしょう。ワインは火を使わなくとも醸造することは可能ですが、日本酒の場合は米の生デンプンをα化しなければならないため、加熱が必要になるのです。考えてみると、日本人の主食である米も、加熱がなければ、生のままではとても食べられるものではありません。つまり、日本の食文化の根本といえる米食も、日本を代表する國酒である日本酒も、加熱という技術が発見されたお陰で誕生することができたのだといえるわけです。やはり、「火を使う」ことの発見は、ヒトがヒトになるための大きなエポック・メイキングであったといえるのではないでしょうか。 【「おいしすぎるおにぎり」の科学】 本書の第5章「『おいしすぎる料理』の科学」の、「『おいしすぎるおにぎり』の分子調理」において、著者はおにぎりについて、日本人の食生活の中でおにぎりのように、身近にある存在で、なおかつ思い入れの強い食べ物は少ないと思うと語り、おにぎりは多くの日本人の心の琴線に触れるソウルフードなのでしょうと語っています。そしてまず、ごはんのおいしさについて、ごはんの粘りやかたさは、植物体である米粒の組織やその内容物を支えている分子の物理的な性質に依存し、ごはんの味や香りは、加熱調理過程の影響を受けるのだと語るのです。では、私たちはごはんのどこにおいしさを感じているのかというと、これまでの米の食味試験結果から、粘りやかたさなどの物理的な特性がおいしさの7割を占め、残りの3割が光沢などの外観、におい、甘味やうま味などであることが報告されているのだといいます。この理由は、主食は飽きがこないという点が重要であり、ごはんはおかずほど強い味や香りを持っているわけではないからなのだとか。そして、ごはんのおいしさである粘りを考えるうえで、米粒内の構造を理解しておくことが大切ですと語っています。ごはんの粘り自体は、デンプンによるもので、そのデンプンには「アミロース」と「アミロペクチン」の2種類があり、アミロペクチンが多いほど粘りがあるごはんになるのだそうです。ちなみに「もち米」のデンプンはアミロペクチンのみからできているため、粘りが強すぎて常食にはあまり適さないのだとか。また、タンパク質もごはんのおいしさの重要なファクターで、一般的にタンパク質含量が低いほどごはんはやわらかくなり、高くなると食味が落ちるとされているのだといいます。タンパク質は、米の成分の中でも品種や環境条件で変動しやすく、追肥などで稲に肥料を与えると、米の表面に特に蓄積することがわかっているのだそうです。表面にたまったタンパク質には水に溶けないタンパク質が多く含まれ、この不溶性タンパク質が吸水力を低下させ、粘りを弱くし、白いツヤも低下させるのだとか。このように、究極のおにぎりをつくるためには、米の組織構造と米中のアミロース、アミロペクチンの両デンプンとタンパク質の状態を分子レベルで理解することが、まず第一歩といえるでしょうと語るのです。 日本酒の原料も同じ米ですから、究極の日本酒を造るためには、米の組織構造やデンプンとタンパク質の状態を分子レベルで理解することが、まず第一歩といえるのではないでしょうか。日本酒の場合は、特に酒米のタンパク質含量が重要であり、これが多い酒米を使うと雑味の多い酒になるといわれています。酒造好適米の山田錦が、酒米の最高峰といわれている大きな理由のひとつは、もともとタンパク質含量が少ないからなのです。しかし、たとえ山田錦であっても、窒素肥料などを与えすぎると、タンパク質含量は増えてしまうのです。司牡丹酒造が、永田農法という農法指導までして、佐川町と四万十町で山田錦を契約栽培しているのは、永田農法が水や肥料を極力与えないというスパルタ農法であり、タンパク質含量が極めて少ない優れた酒米になることが大きな理由なのです。日本酒メーカーが、こぞって精米率を上げて酒米を磨くのは、米の表面にはタンパク質が多いからですが、もともとの酒米自体にタンパク質含量が極めて少なければ、実は何もそんなに磨く必要などないのです。究極の日本酒を造りたいのならば、精米技術がどうだとか、製造方法がどうだとか言う前に、実はまず、酒米の栽培方法から考えなければならないのだといえるでしょう。 「おいしすぎるおにぎり」の話に戻って、著者はこの後さらに、ごはんの理想的な炊き方についてや、洗米についても語っています。そして、実は米粒は粒ごとに成分が違うという話にまで言及しています。同じ穂から採取した一粒一粒のタンパク質含量を調べると、穂先ほどタンパク質含量が高く、根本になるほど低くなり、粒ごとに8~15%と大きな変動幅があることがわかっているのだとか。また、アミロース含量やミネラル成分の分布にも違いがあり、その結果、一粒一粒の粘弾性も違うことが報告されているのだそうです。つまり、粒ごとに味や噛みごたえが違うということです。この粒ごとの成分の変動傾向は、稲穂が開花する順番と対応しているのだといいます。生物が厳しい自然界で生き残るために、早く成熟するものと遅く成熟するものがあえて共存することで、全滅するリスクを分散する戦略をとっていると考えられているのだとか。そのため、私たちが食べているお茶碗の中のごはん粒は、味にかなり大きなばらつきを持った集団であり、私たちはそれらの平均でおいしさを判断しているといえるのだそうです。では、もしそのバラバラな性質のごはん粒を均一な集団に分けることができ、さらにすべて均一に炊くことができたら、それらのごはんはどのような味がするのでしょうかと、著者は語っています。「均一化ごはん」は、おいしさが増す方向に進むのでしょうか、それとも反対に進むのでしょうか、と。食感に違いがなくなることによって洗練され、エッジの効いたごはんになる可能性がある一方、のっぺりとした平坦でおもしろみのないごはんになるかもしれませんと語るのです。私たちがごはんを毎日食べても飽きないのは、ひょっとしたら、このごはん粒がバラバラの性質を持ったモザイク集団だということが重要である可能性があるというのです。毎回私たちがひと噛みひと噛みしている食感が均一ではないことが、ごはんの「抑揚のあるおいしさ」を生み出しているのかもしれませんと、著者は語っています。 この、同じ穂から採取した米でも粒ごとに成分が違うという事実は、日本酒にとっても大きな問題です。「均一化酒米」がもし可能になれば、それは日本酒のおいしさを増す方向に進むのでしょうか、それとも反対に進むのでしょうか。あまりに成分がバラバラの酒米の集合では、おいしい日本酒にはならないであろうことは想像に難くないでしょう。では、一粒一粒のすべてのタンパク質含量が均一に極めて低い酒米のみを集めて日本酒を仕込んだ場合は、どうでしょうか。雑味のない極めてキレイな酒にはなるでしょうが、もしかしたら平坦でおもしろみのない酒になるのかもしれません。酒米として、どこまで不均一な方がいいのか、どこまで成分が揃っている方がいいのか、この二律背反の共栄点を探る中において、酒造メーカー各社ならではの究極においしい日本酒が生まれてくるのかもしれません。 引き続いてさらに著者は、おにぎりのふっくら感をかもし出す、米と米の間の「空気」の存在についても言及しています。やさしく握ることによって、口の中でホロッと崩れる感触が得られる一方で、食べる前には崩れないかたさで維持されていることもまた、おにぎりにとって大切な要素なのだといいます。つまり、「ごはんの粒の隙間にもおいしさがひそんでいる」と考えておにぎりを握ることが重要なのだとか。アイスクリームにもたくさんの空気が含まれており、パンやメレンゲ菓子なども隙間が重要な役割を担っています。いわば、私たちは食べ物の形ある部分とともに、その中にある空気も一緒に味わっているのだというのです。そして著者は、究極のおにぎりは、ごはん一粒一粒の性質とその隙間、すなわちごはん粒の上下左右の立体配置とその間を埋める空気のバランスを考え、その「理想」を何らかの方法によって構築したものなのかもしれませんと語っています。そしてさらに、その精密に“にぎられた”おにぎりも、大好きな人がつくってくれたおにぎりには当然完敗することは容易に想像できますが、それはまた別の話ということでと語り、次の「文庫版あとがき」の内容につながる話題をほのめかしているのです。 日本酒においては、「熟成」の問題が、この「隙間」の話に通じる部分があるといえるでしょう。熟成には2通りあるといわれており、ひとつは液体を構成している成分同士が化学変化を起こし、新たな成分を生み出す化学的熟成と、もうひとつは、成分(アルコールと水など)の分子レベルの安定化による物理的熟成です。この後者の熟成は、水の分子はアルコールの分子より小さいため、時間が経つにつれて水の分子がアルコールの分子と分子の隙間に入っていくような現象をいいます。つまり、アルコール分子の周りを水の分子が取り囲んだような状態になり、これにより熟成した日本酒は、アルコールの刺激を感じにくくなり、まろやかに感じられるということなのです。逆にしぼりたての新酒は、フレッシュでピチピチした爽やかな若々しさがウリではありますが、アルコールの刺激が強く、とがったような印象が残るのです。究極の日本酒のひとつの姿は、アルコールの分子と分子の隙間にどの程度水の分子を入りこませるか、そんなバランスを考え、その「理想」を何らかの方法によって構築したものなのかもしれません。 【感性的な視点の探究】 著者は「文庫版あとがき」にて、次のように語っています。料理においしさを感じているときの感覚は、絵画や音楽などの芸術作品を鑑賞しているときの感覚と似ている部分があるのだといいます。17世紀のイギリスの神学者ロバート・バートンは、「メランコリー(憂鬱)の解剖学」の中で「料理は芸術であり、かつ高尚な科学である」と語っているのだそうです。実際、「芸術/感性」と「科学/理性」は、おいしさの両輪であると言えるでしょうと、著者は語るのです。そして、「料理が芸術である」なら、芸術とはそもそも何か、芸術で心が動くのはなぜか、心地良いと感じるのはなぜかなどの視点を持つことが、料理の芸術面について深く理解するために必要でしょうというのです。また、料理は総合芸術的な性質があるため、絵画や音楽などの分野で研究されてきた芸術の美学などを頼りにしていくことで、料理のおいしさの感性面の理解に迫ることができるのではないかと考えられるのだと語っています。さらに著者は、これからAI(人口知能)やロボットなどのテクノロジーによって、人がなかなかつくることができない料理や、個人の大事な思い出を刺激するような料理は、簡単につくり出されるようになるでしょうというのです。しかし、つくり手がロボットであろうと人間であろうと、食べ手の感情を少なからず揺さぶることができなければ、食べる人が「おいしさの幸福感」を得るのは難しいのではないでしょうかと語るのです。これからのつくり手がもっとも注力すべきところは、食べ手の感動がどこからやってくるのかの理解かもしれないと、著者は語っています。さらに、おいしさとは複合的な要素の集まりであり、「人がなぜおいしさを求めるのか」という謎をひもとくには、さまざまな科学の分野の融合、さらに新たな考え方などが必要なのだといいます。そのひとつが、美学をはじめとした哲学的な視点からの情動、感情、感性とおいしさの関係を考えることではないかと思っているというのです。それには、いろいろなジャンルの方々と、より広く「おいしい出会い」をすることが必要であるとし、もう片方の車輪である感性的な視点を探究し、料理の「おいしい」を解き明かすための新たな旅への準備を始めたいと思うと著者は語り、本書の「文庫版あとがき」を締め括っています。 「酒道 黒金流」においても、日本酒の飲み手の感動がどこからやってくるのかの理解が、今後もっとも注力すべきところであると考えています。そのために、哲学的な視点からの情動、感情、感性とおいしさの関係などを、今後も探究し続けていきたいと思っています。「科学」と「技術」、「哲学」と「芸術」を四輪駆動として、日本酒と、日本酒の周囲にあるモノやコトを、探究し続けていくという「道」が、「酒道」であると考えているのです。