【門前編】経済学の観点から日本酒の成長戦略を探る!

First part of the gate

今回は、2冊の書籍を参考にして、経済学の観点から日本酒の成長戦略を探ってみたいと思います。まず1冊目は、「お酒はこれからどうなるか~新規参入者の挑戦から消費の多様化まで~」(都留康著平凡社新書2022年8月10日発行本体900円+税)という、比較的読みやすい新書本です。そしてもう1冊は、「國酒の地域経済学~伝統の現代化と地域の有意味化~」(佐藤淳 著 文眞堂 2021年3月15日発行 本体2,600円+税)という、やや重めの研究書です。この2冊は、ともに経済学の観点からお酒や國酒について分析したものであり、ともに「これから」についての展望や、成長戦略の提言なども記載されています。まずは、それらの内容から抜粋してご紹介させていただき、そして私、竹村の考えもご紹介させていただき、「酒道」についても言及してみたいと思います。 【「垂直的製品差別化」と「水平的製品差別化」】 まず、「お酒はこれからどうなるか」の内容から取り上げたいと思います。著者は、日本酒は近年輸出が急増しているものの、その一方で、酒類の中では最も厳しい参入規制(新規製造免許の不発行)があり、国内消費も事業者数も減少の一途をたどっており、通常の衰退産業なら、ここに新規参入する企業はいないはずだと語っています。しかし、日本酒の場合、その参入規制を何とか乗り越えて新規参入する企業もわずかながら存在するのだといいます。その参入の理由を探り、規制緩和に向けた政策提言を行いたいと、著者は語るのです。 そしてまず、日本酒の製品差別化の2方向として、山口県は旭酒造の「獺祭」と秋田県は新政酒造の「新政」の事例を、著者は挙げています。まず旭酒造については、これまで多くの蔵元が普通酒から純米大吟醸酒までを手がけていたのに対して、旭酒造は純米大吟醸酒のみに特化し、しかも空調設備を完備した大規模工場で、数値管理によって製造しているのだといいます。これは経済学の用語では、「垂直的製品差別化」で、精米歩合を日本酒の「機能」に見立てると、その最高水準である「大吟醸酒」だけに特化した差別化だからです。しかも大量生産を行っていますから、「規模の経済」(生産量の増大に伴い平均費用が低下すること)も享受できるのだというのです。次に、もうひとつの方向は、新政酒造に代表される、造りの「原点回帰」であるといいます。乳酸菌を人為的に投入する速醸法や酵素剤の添加等の日本酒造りの科学的な「進歩」を否定して、完全無添加の生酛造りや木桶の使用など、江戸時代の造りに戻ろうとするのが「原点回帰」であり、これを経済学の用語で「水平的製品差別化」というのだそうです。精米歩合という目に見える「機能」ではなく、造り方のこだわりに「意味的価値」(価格が同じでも消費者が造り手の哲学やメッセージを選好すること)を感じ取る差別化だからです。さらに著者は、近年の日本酒によるイノベーションは、旭酒造的な方向と新政酒造的な方向を両極として、その間に位置してきたのだといいます。しかし、近年それらとは方向を異にする造り手たちが現れてきているのだと語っています。 【新規参入者の挑戦】 著者は、全国で日本酒の蔵元が減少している中で、唯一増加に転じた地域があり、その地域とは北海道で、このきっかけをつくったのが、2017年に設立された上川大雪酒造株式会社なのだそうです。同社の塚原敏夫社長は、上川町に酒蔵を立ち上げようとしましたが、酒税法の「需給調整要件」により、戦後一度も新規清酒製造免許は認可されていませんでした。そこで塚原社長は、三重県の製造免許を北海道に移転するという奇策に打って出、粘り強く税務署に通い詰め、ついに製造免許の移転に成功したのだというのです。塚原社長の構想はきわめて簡明で、それは市場で評価される日本酒を造ることを当然の前提として、その酒を核として産学官協働による地方再生を行うことにあるのだそうです。その後の塚原社長の展開は矢継ぎ早で、まず2020年に帯広畜産大学の構内に碧雲蔵を開設。同社の川端慎治総杜氏が同大学の客員教授となり、酒造りと教育・研究との両立を図っているのだそう。さらに2021年には函館に、3番目の「函館五稜乃蔵」を開いたのだといいます。こちらは函館工業高等専門学校との協働であり、酒蔵内には「函館高専ラボ」も設けられ、発酵研究と連動した酒造りが行われているのだそうです。そして今後は、オホーツク地域にも蔵の開設を検討中で、北見工業大学などとの連携は有力な選択肢なのだとか。また、余市町や小樽商科大学と連携協定を結び、余市でブランデー造りにも乗り出すのだといいます。なお、上川大雪酒造の設立後、道外から北海道への蔵の移転が相次いでいるのだそうです。2020年には、岐阜県から東川町へ三千櫻酒造株式会社が移転。2021年には、岡山県の休眠蔵の免許を七飯町(ななえちょう)に移転して、新蔵を設立した函館醸造有限会社があるのだとか。こうした動きは今後も続くと思われると、著者は語るのです。(2021年4月14、15日調査実施) また、新規清酒製造免許が国内で下りないのなら、海外で造ればいいという考え方を実践したのが、株式会社WAKAZEなのだといいます。稲川琢磨社長のビジョンは、「日本酒を世界酒に」。その酒造りの方法は2つで、ひとつは新規の清酒製造免許が下りないため、委託生産で日本酒を造る方法と、もうひとつは三軒茶屋での「その他の醸造酒」免許により「どぶろく」などを製造するという方法です。この国内での展開を踏まえ、WAKAZEは2019年にパリにSake醸造所「クラ・グラン・パリ」をオープンしたのだそうです。そして次なる目標は、米国での現地醸造にあるのだといいます。その準備の一環として、2021年にはパリ醸造所の設備増強、欧州全土への販売拡大、米国でのブランド認知度向上のために、3億3000万円の資金調達を行っているのだというのです。(2020年12月21日調査実施) 次に、福島第1原子力発電所から半径20キロ圏内にあり、東日本大震災後は人口がゼロになった町、南相馬市小高(おだか)区で2020年に佐藤太亮(たいすけ)社長が起業したのが、株式会社haccobaだといいます。その酒造りの発想は自由で、代表製品「はなうたホップス」は、発酵までは日本酒の製法と同じながら、副原料にホップを用いた酒で、これは東北地方に伝わるどぶろくの花酛(はなもと)という製法を継承するものなのだそう。このような酒造りにより佐藤社長は何を目指すのかというと、第1に人口がゼロになった地域を酒蔵を拠点にして再生することであり、実際、避難していた住民に加え、著名な小説家やアーティストなどが移住し、人口はかなり回復したのだとか。第2には、試験製造免許で日本酒も造る意図はあるが、既存の日本酒とは異なる、日本酒の新しいあり方を模索中なのだといいます。具体案はまだだが、「日本の発酵文化の源泉にあるような酒造り」を目指したいと佐藤社長は述べているのだそうです。第3には、海外も含めたhaccobaの展開であり、その場合でも地域文化に根ざした、しかし既存のビールともワインとも異なる自由なSakeを醸す、という大きな構想を抱いているのだといいます。(2021年2月17日調査実施) 以上で紹介した若き醸造家たちはなぜ、あえて需要が減少する産業に参入しようとするのかについて、著者はまず、若き醸造家たちは、需要の減少が著しい低価格帯の日本酒(普通酒や本醸造酒)を造ろうとしておらず、むしろかなりの高価格帯の製品を目指しているため、その意味で、経営の苦しい既存蔵元とは市場セグメントが異なり、競合することはないのだと語っています。また、新規参入を目指す者たちには、日本酒造りによって地域再生を行うという大きな社会的目的があるのだといいます。もちろん、高価格帯にも既存蔵元は存在するが、既存蔵元にとって新規参入を目指す者たちは敵ではなく、むしろ既存蔵元とは異なる発想で需要を底上げする友であると、著者は語るのです。そして、日本酒は近年グローバル化しており、グローバル化の先には、ワインという巨人が待ちかまえているのだと著者は語り、つまり日本酒は単なる衰退産業ではないのだと断言しています。さらに、グローバルに競争する日本酒には、新しい血と斬新な発想が必要であり、そのためには、参入規制を全面的に緩和して、本書で紹介したような新しい醸造家たちを迎え入れるほうが、結局は真の業界利益にかなうと確信すると、著者は語るのです。 【日本酒の階層化~大衆酒、中級酒、高級酒~】 続いて、「國酒の地域経済学~伝統の現代化と地域の有意味化~」の内容を、要約してお伝えしたいと思います。なお本書は、日本酒と単式蒸留焼酎について取り上げていますが、今回は日本酒のみをピックアップさせていただきました。著者は、日本酒はこれまで国内の単一市場を想定してきたが、それは所得格差が少なく、人口が増えていることを前提としたもので、その方向性は相応の成果を上げ、高度成長期にかけて量的拡大を実現してきたのだといいます。しかし現在、日本酒は量的縮小を余儀なくされており、他方で国内所得の格差拡大や海外富裕層の影響により高級酒分野の萌芽がみられるのだというのです。そして、このような両義的現象は、日本酒は異なった経済原則から構成される市場に分断され階層化の過程にあるという、階層化仮説によって説明されるのだと著者は語っています。換言すれば、日本酒には、危機と機会が混在しているのだと。危機と判断されるのは、大衆酒市場の縮小であり、機会と判断されるのは、中高級酒市場の萌芽であるのだといいます。ちなみに階層化仮説とは、「大衆酒」(=「コモディティ」)は「低価格」をニーズとした「普通酒」などの「経済酒」、「中級酒」(=「プレミアム」)は「品質」をニーズとした「特定名称酒」、「高級酒」(=「ラグジュアリー」)は「顕示・意味」などをニーズとした「高級ブランド酒」の3階層で、日本酒における「ラグジュアリー酒」の分野は、いまだ萌芽が見られる程度だというのです。そしてまず「大衆酒」(普通酒等)については、規模の経済を実現するために、大規模な設備投資を行って競争力を生み出す寡占戦略が有効ですが、米農家の生産性を改善するか、米の輸入関税を引き下げる必要があり、それは望めなくはないものの、長い時間を要するため、まだしばらくの間大衆酒市場は縮小を続けるとみられると語っています。 一方、日本酒における中高級酒は危機ではなく、機会の状態にあるのだといいます。日本酒は製法が複雑であるが上手く造れば美味が実現され、その美味の評価は高い原料コストを賄うのに十分であり、さらに美味を生む技術は現在も進化を続けているのだというのです。そして著者は、美味の実現努力は、これまで「中級酒」(特定名称酒)の領域における、科学を背景とした人為的な差別化として実施されてきたのだといいます。そして本書ではこれを、経済理論の観点から分析し、独占的競争に該当することや、ワインの新世界における特定のブドウ品種への特化による人為的な差別化と類似のものであるとしています。これは、ブドウ品種を意味する「セパージュ」(フランス語)、又は「ヴァライタル」(英語)と呼ばれます。ワインの中級酒の典型は、新世界(米国、豪州、チリ等)のプレミアムワインであり、新世界では旧世界であるフランス等と差別化を図るために、特定のブドウ品種に特化し、それを表示する戦略を取ったのだそうです。旧世界が立地そのものを「テロワール」として差別化の源泉とするのに対抗したのだといいます。ワインの特性はブドウの特性に依存していると考えられ、そしてブドウの品種や品質が同じか優れていれば、他所のワイン以上であると考えることができるのだと。そして、現在の日本酒、特に特定名称酒は、ほぼこれと同じ考え方に立脚しているのだというのです。ブドウの影響が大きいワインに比べると、日本酒の場合には、米と精米、水、微生物と、特性を規定する要素が多いが、しかしそれらを人為的/科学的に制御するという考え方は、セパージュ/ヴァライタルと共通しているのだと語り、これは伝統よりむしろ科学を重視する考え方と整理されるのだと語るのです。したがって、例えば特定名称酒では、人為的/科学的という意味においてセパージュ/ヴァライタルと同じ考えに立脚していることを訴求することが、海外の消費者の理解促進に効果的とみられ、またブドウ品種の開示と同じように、米の品種や水の硬度、微生物の種類等を開示することも有効とみられると、著者は語っています。 次に著者は、「高級酒」(ラグジュアリーブランド酒)にはブランド戦略が必要であり、ブランド戦略は、差別化による独占的競争戦略の発展形であると著者はいいます。「垂直的差別化」と「水平的差別化」の両方の観点からの模倣し難い高度な差別化によって、独占状態を長期間継続することが目標となるのだというのです。そして、そのようなブランド品に対する消費者行動の5類型は、「顕示的消費」(周囲からの羨望を意識して行う消費行動)、「希少性」、「流行」、「感覚」、「品質へのこだわり」であると語っています。この5つは、消費者から見た商品の「意味」とも解釈されます。つまり、顧客の知識ベースに、企業が持っている豊かなブランド知識をコンテクスト(文脈、背景)によってつなぐことができれば、企業と顧客の間で深い「意味」が共有されるのだというのです。コンテクストによって、組織文化が顧客とつながり、それが顧客にとって価値のあるユニークなポジションをブランドに与え、競争優位の源泉となるのだと。コンテクストによって、組織文化と顧客をつなげるということは、組織文化を物語化することや、意味を与えることといえるわけです。このような組織の「有意味化」は、センスメーキング理論として知られており、センスメーキングとは、組織や環境を意味ある世界に変えていくことであると、著者は語るのです。つまり、センスメーキングとは「腹落ち」のことで、リーダーは「腹落ち」するストーリーを語る必要があるのだといいます。しかし、創業者ではない経営者がビジョンを掲げても、なかなか周囲に腹落ち感を与えられないのだと。重要なのは「創業者・中興の祖の掲げていたビジョンへの原点回帰」であるのだというのです。このようなビジョンは、歴史とともに風化してしまっていることが多いが、しかしそれは、「そもそもこの会社は何のためにあるのか」という会社のDNAそのものであり、それを咀嚼して現代風に蘇らせれば、周囲に「腹落ち感」を与え、組織やステーク・ホルダーからの求心力が高まるのだと、著者は語っています。そして、「新政」の6号酵母は恰好であったといいます。「自社で誕生した6号酵母を使用し、地産地消で秋田県産米のみを使い、添加物を一切使わず、手間暇がかかる昔ながらの製法で造った純米酒」というビジョンに、多くの人が「腹落ち」し、共感が高まったのだというのです。このような手法を一般化すると、「伝統の現代化」であると著者は語るのです。これまでの伝統とは文化遺産のニュアンスが強かったが、それを現代化の観点から見直すことが、産業発展の契機となるのだといいます。そして、地域産業の発展にはイノベーションや差別化につながる創造的な要素が必要となり、それは難しいものと思われてきたが、しかし実は、創造的な要素は伝統に潜んでおり、「伝統の現代化」こそが、創造的な地域を実現する鍵なのであると、著者は断言するのです。さらに著者は、高級ワインの「テロワール」のような、物語の創出や意味づけも、これからの日本酒業界の「高級酒」に求められる要素であると語っています。しかしそれは、単なる原産地呼称や地理的表示の真似では通用しないだろうと。ブドウの特性が品質に大きな影響を与えるワインと異なり、日本酒は米以外にも水や微生物が品質を規定するからだというのです。「新政」のように蔵の酵母や生酛で生成する乳酸菌、木桶を重視する酒造りは、微生物を重視するという意味において、マイクロオーガニズム(微生物)テロワールと称することが、ワインとの共通理解を進めつつ差別化を図るという点でふさわしいとみられると、著者は語るのです。 【竹村の目指す「高知県全体のブランド化」】 まず、ここまでの2冊の書籍における日本酒の成長戦略は、「お酒はこれからどうなるか」では、「獺祭」的な「垂直的製品差別化」の方向と、「新政」的な「水平的製品差別化」の方向、そして日本酒造りを核として地域再生を行うという社会的目的を持った方向という3つの方向でした。一方「國酒の地域経済学」では、まず「大衆酒」(普通酒)は、規模の経済を実現するために、大規模な設備投資を行って競争力を生み出す寡占戦略が有効であるが、米農家の生産性を改善するか、米の輸入関税を引き下げる必要があり、それには長い時間を要するため、まだしばらくの間大衆酒市場は縮小を続けるだろうという展望でした。次に「中級酒」(特定名称酒等)は、品質と価格のバランスが重要で、その両立には科学の力が必要であり、科学的なイノベーションを繰り返す、独占的競争戦略(「垂直的差別化」に該当)が有効であるとのことでした。続いての「高級酒」(ラグジュアリーブランド酒)は、ワインを念頭におくと巨大市場になる可能性があり、この分野では「垂直的差別化」と「水平的差別化」、両方の観点からの高度化した差別化、ブランド化が必要であるとのことでした。「高級酒」の領域では、「品質」に加え「意味」が重要となり、意味を形成するうえで最も有力な資源は「伝統」であり、さらに伝統に「立地特性」を加えることにより、差別化はより強固となる(仏ワインのテロワール)というのです。伝統を見直し活用することによって、物語や意味を創出することが高級酒分野の成長戦略であると、著者は語っています。 この2冊は、私にとりましても大いに参考になり、また「我が意を得たり」と感じた部分もかなりありました。まず、少し前の「酒道黒金流」のコンテンツ「『料理と科学』『日本酒と科学』のおいしい出会い」<前編>において、令和3(2021)年度高知県産学官連携産業創出支援事業に、高知大学理工学部化学生命理工学科の小﨑大輔講師と司牡丹酒造の共同研究である、「小規模酒造でも実施可能な超短期的かつ自在な新酒開発事業の創出」が採択されたと紹介させていただきました。これは、小﨑講師が考え出した日本酒の主要成分を一度に調べることができるという世界初の分析方法を使い、従来は3~5年ほどはかかっていた新商品の開発が1年ほどででき、しかも費用も大幅に抑えることができるという、極めて画期的なシステムです。この研究はまさに、「國酒の地域経済学」における「中級酒」(特定名称酒)の成長戦略、科学的なイノベーションを繰り返す、独占的競争戦略であるといえるでしょう。そして、この研究が実用化されたなら、まず司牡丹の商品の「垂直的差別化」が実現されることになります。さらに、将来的には土佐酒18蔵全てがこの方法を利用できるようにすることを目指しており、こちらが実用化されたなら、土佐酒全体の「垂直的差別化」が実現されることになるのだといえるでしょう。 そして、私は現在、NPO法人「土佐伝統お座敷文化を守る会」の設立に向けて、仲間の方々と共に動いており(※令和5年6月現在)、年内(※令和5年内)の設立を目指しています。このNPO法人の設立に向けての趣旨と、当会が守り育てていく「土佐伝統お座敷文化」とは、次のとおりです。 <NPO法人「土佐伝統お座敷文化を守る会」の設立に向けての趣旨>
県外や海外のお客様が土佐にお越しになった際、土佐ならではの「おきゃく(土佐流宴席)」を催し、土佐伝統のお座敷文化を体験していただくと、皆様必ず口を揃えて「こんな楽しい宴席は初めて!」と大悦びで語られます。土佐の高知の一番のウリである、「食が美味しい!酒が旨い!人が明るい!そして世界一宴が楽しい酒国土佐!」の全てがいっぺんに体験できたのですから、当然といえるでしょう。しかし、そんな一番のウリの基礎となる世界一楽しい宴が、消え去ってしまうかもしれないのです。コロナ禍となっての約3年、返杯・献杯も、宴会での席の移動も、皿鉢料理の取り分けも、可杯や箸拳などのお座敷遊びも、土佐らしい密な宴席は何ひとつ実践できなくなってしまい、このままでは本当に絶滅してしまうかもしれません。そして、もし本当に絶滅してしまうなら、それは土佐の高知の一番のウリをいっぺんに体験できる場が無くなってしまうということを意味しているのです。コロナ禍により、今や世界中で会議はもちろん、集いや飲み会もオンラインで済まされるようになり、世の中は「非接触型社会」にまっしぐらに進んでいるかのようです。しかし、多くの身体心理学者の方々は、「触れ合い」や「寄り添う」ことは人間にとって極めて重要であり、皮膚の交流は本来欠かせないものであると語っています。さらに、「非接触型社会」を選ぶということは、ディストピア(逆ユートピア)の未来を選ぶことになると語る哲学者もいるほどです。そして、私たちがより多くの仲間たちと心を許して触れ合ったり寄り添い合うというシーンは、日常の中のどこにあるかというと、それはリアルで密な宴席の中なのです。コロナ禍もいつかは必ず終息しますが、終息後も「非接触型社会」を目指すという流れは、確実に残るでしょう。しかし、そんな流れは世の中をディストピアに導くことになるのだと誰かが発信し、伝え続けなければならないのではないでしょうか。つまり、土佐伝統のお座敷文化を守り育てていくということは、高知県の一番のウリを守り育てていくということにつながり、それは高知県の発展にとって最も欠かせない、大切なキモだということであり、さらにそれは、世界中に広がりつつある「非接触型社会」を目指す流れを押し留める抑止力にもなり、ある意味それは「世界一楽しい宴のあるユートピア」をこの国に、この世界に残すことでもあるということなのです。ならば、土佐伝統お座敷文化を守り育てていく活動が実を結ぶなら、「世界一楽しい宴のあるユートピア」を体験するために、全国各地から、世界中から、土佐の高知にたくさんの人々がやってくることになるでしょう。そしてそのためには、NPO法人「土佐伝統お座敷文化を守る会」の設立が必須であると考えています。ちなみに、この団体の目指す究極の姿は、土佐の高知がサン・セバスチャンを超えるという姿です。サン・セバスチャンはスペインはバスク地方の人口18万人ほどの小さな街ですが、世界一の美食の街と言われ、この極めて交通の便の悪い街に世界中から観光客が押し寄せています。(※コロナ禍の現状は分かりませんが。)今はまだ、土佐の高知はサン・セバスチャンにはおよびません。しかし、NPO法人「土佐伝統お座敷文化を守る会」が設立され、その活動が活性化されていくならば、土佐の高知が憧れの地として世界中の国から仰ぎ見られ、世界一楽しい宴を求めて日本中から世界中から観光客が殺到し、サン・セバスチャンを超える日は、そう遠くないであろうと私は確信しているのです。
<当会が守り育てていく「土佐伝統お座敷文化」とは>

食:皿鉢料理文化、土佐の酢みかん文化、土佐寿司文化など、土佐ならではの伝統的食文化。

酒:伝統的な土佐の食の美味しさを引き立てる、淡麗辛口の伝統的土佐酒文化。

人:全て「なかま」(共有)にして人を楽しませる、土佐ならではの伝統的おもてなし「なかま」文化。(杯を「なかま」にする返杯・献杯、宴会での自由な席の移動、皿鉢の自由な取り分け、老若男女や他人まで皆「なかま」!)※土佐弁で「なかま」とは、一般的な同士の意味に加え、共有・シェアの意味もある。

宴:箸拳・可杯など、土佐ならではの伝統的お座敷遊び文化。土佐ならではの家庭における伝統的「おきゃく(土佐流宴席)」文化。料亭などにおける伝統的土佐芸妓文化。


このNPO法人「土佐伝統お座敷文化を守る会」が設立され、その活動が活性化されていくならば、何が実現されるかというと、土佐酒と土佐伝統お座敷文化を核とした、「土佐の食・酒・人・宴のブランド化」です。もっというなら、「高知県全体のブランド化」であるとも表現できるでしょう。これは、「お酒はこれからどうなるか」において示された、第三の方向、「日本酒造りを核として地域再生を行うという社会的目的を持った方向」を、一層壮大にしたものであるといえます。さらにこの活動には、「國酒の地域経済学」において示された、意味を形成するうえで最も有力な資源である「伝統」と、伝統の見直し、つまり「伝統の現代化」も内在しており、しかも「立地特性」も内在されているのです。ただしこれは、土佐酒や土佐伝統お座敷文化がラグジュアリーを目指し、高価になっていくという意味ではありません。土佐の高知が、世界一宴が楽しい憧れの地として、日本中や世界中の国から仰ぎ見られるとするならば、それは「大衆」ならば「大衆」なりに、「中級」ならば「中級」なりに、「高級」ならば「高級」なりに、他県が決して真似のできない唯一無二の「ラグジュアリー」的な存在になれるであろうと考えているのです。 そして、日本酒のグローバル化の先に、ワインという巨人が待ちかまえているのならば、必ずや「酒道」が求められるときが来ると、私は確信しています。日本酒の「唎酒師」や「サケ・デュプロマ」などは、資格であり職業ですが、それはつまりはワインにおける「ソムリエ」に対抗するためのものであり、ちょっと表現は悪いかもしれませんが、しょせんは「ソムリエ」の物真似です。一方「酒道」とは、資格でも職業でもなく、それは「道」である以上、つまりは「生き方」なのです。海外にはない、日本にしかないこの「道」こそが、「酒道」こそが、外国人の方々に憧れを持って仰ぎ見られる存在に、日本酒を押し上げてくれるはずです。今はまだ夢物語かもしれませんが、50年後、100年後、200年後には、日本各地に様々な「酒道」流派が百花繚乱咲き乱れ、「酒道家」は世界中から憧れられる存在になっているであろうと、私は確信しているのです。