【門前編】朝ドラ「らんまん」から考える私たちが学ぶべきこと!
2023年度前期NHK「連続テレビ小説」(通称「朝ドラ」)、牧野富太郎博士をモデル(物語での名前は槙野万太郎で主演は神木隆之介さん)にした物語「らんまん」が、令和5年4月3日からスタートし、令和5年9月29日の放送をもって半年間の放送を終えました。牧野博士は、司牡丹の故郷・佐川町出身の「日本植物学の父」とも呼ばれる世界的植物学者であり、もとは佐川の酒蔵の跡取り息子でしたがその蔵を人手に譲り上京し、植物学者となった方です。その酒蔵は後に司牡丹酒造に譲られ、現在は当社の一部となっています。そんな関係で、高知県内各地でロケが行われ、佐川町でも司牡丹の蔵が並ぶ「酒蔵の道」にて撮影が行われました。ドラマの前半、初回放送から5月のGW終了までの1ヶ月ほどの内容は、酒蔵シーンや酒造りシーンだらけでした。当社の酒蔵見学体験者は、見覚えのある白壁蔵の映像に気づかれたのではないでしょうか。そんな「朝ドラ効果」により、高知県にも佐川町にも観光客が殺到し、放送が終了した今もその効果は持続しており、本当にありがたいことです。そして私は、この朝ドラ「らんまん」にまつわる様々なトピックから、本当に多くのことを学ばせていただきました。そこで今回は、「朝ドラ『らんまん』から考える私たちが学ぶべきこと!」というテーマにて、お届けしたいと思います。 【「らんまん」出演者らの声から】 まず朝ドラ「らんまん」は、高知県佐川町出身の植物学者・牧野富太郎博士の人生をモデルとしたオリジナルストーリーで、朝ドラ108作目にあたります。好きなもののために、夢のために、一途に情熱的に突き進んでいく、天真爛漫な主人公・槙野万太郎(神木隆之介)と、その妻・寿恵子(浜辺美波)の波乱万丈の生涯を、幕末から明治・大正・昭和まで描いたものです。そして、令和5年9月29日、第130話にあたる最終回を迎え、NHKが高知市内で開いた「最終回を見る会」には、主役の神木隆之介さんとヒロインの浜辺美波さんらの出演者や番組プロデューサーもサプライズで登場。約380人の観客からは万雷の拍手が起きたのだといいます。最終回にて、万太郎は完成した日本植物図鑑を寿恵子に手渡し、「愛しちゅう」と語り抱きしめます。このセリフは実は当初の台本にはないもので、神木さんが「『必要じゃ』とかは寿恵ちゃんに言ったけど、ストレートな言葉では言ってない」と脚本家の長田育恵さんに提案して加えられたと裏話を披露し、会場を沸かせたのだそう。その後、出演者やプロデューサーらは撮影を裏で支えてきた高知県立牧野植物園を訪問したのだといいます。そして神木さんは「作品を通して植物に触れることができて幸せだなと思います。」と語り、浜辺さんも「植物の素晴らしさを一から教わっている気分でした。たくさんの方に愛していただける作品になった。」「父と母が植物園に遊びに来ると言ってます。」と語り、園職員を喜ばせたのだとか。 また、高知新聞では10月1日(日)の朝刊の一面トップに神木さんの記事を掲載。「万太郎を演じられたことは誇り。一生忘れられない、心に刻まれる作品になった。」「好きだから、楽しいから、知りたいからっていう、めちゃくちゃ純粋なものが大きな力になってるんだって。やっぱり僕と似てると思った。」「『高知に元気を与えられたら』と思っていましたが、逆に元気をもらいながら頑張ることができた。高知の皆さんには感謝しかないです。」等々、神木さんの思いがあふれるたくさんの言葉が掲載されています。ヒロイン寿恵子役の浜辺美波さんも、「らんまん」最終回放送日の9月29日に自身のインスタグラムを更新し、「らんまん」への思いをつづっています。「長田さんの描く『らんまん』の世界で寿恵子として万太郎さんと共に最後まで生きることが出来、今思い返してもなんて幸せな日々だったのかと、寂しく、既に懐かしいです。」「神木さん演じる万太郎さんと共に大冒険をすることができて、間近でその背中を見続けさせていただき、とてつもなく贅沢な時間でした。写真には残せていませんが、心の中には宝物のような思い出が溢れています。」「その思い出たちを抱き締め愛でながら、愛される作品に出会い、制作に携われるよう、また一から精進して参ります。」「そして万太郎さんと共に建てた大泉の自宅セットで噛まれたふくらはぎのダニの痕が疼く度に、らんまんを思い出します。」とユーモアを交えて振り返っています。そして、「半年間ありがとうございました!らんまんじゃあ!」と締めくくっていました。さらに、「らんまん」の主題歌「愛の花」を担当したシンガー・ソングライターのあいみょんさんも、最終回の放送直後に自身の「X(旧Twitter)」にて、「あかん、昼から取材あるのに泣きすぎて顔つぶれる」と投稿。続く投稿では、「朝ドラ、らんまん。主題歌を担当させて頂いたこと、心から誇りに思います。」と感謝。そして「私にとっての朝ドラは、死ぬまで一生らんまんです!らんまんで良かった。素敵な大冒険でした。寂しいっ!らんまん、だいすき!半年間、本当に、本当にありがとうございました。」とあふれる思いをしたためています。ファンからも「愛の花が流れる度に涙が出ます。本当に素敵な曲をありがとうございました。」などのコメントが殺到。あいみょんさんもリプに答える形で、「劇ロス中、ほんまに幸せやった」と振り返っていました。
【「らんまん」脚本家・長田育恵さんの言葉】
そして私は、「らんまん」の最終回が放送された翌日の9月30日(土)、「らんまん」脚本家の長田育恵さんと宴席を共にして語り合うことができましたので、長田さんの言葉などもご紹介させていただきたいと思います。この翌日の10月1日(日)に佐川町立「桜座」にて、「脚本家・長田育恵さんが語る牧野富太郎博士への思い」という講演会があり、長田さんの前座として私も講演させていただく予定だったのですが、この日はちょうど「日本酒の日」でもあり、自分の講演が終わったら長田さんの講演を聴かないまま高知市内に向かい、「土佐酒で乾杯!」イベントの準備をしなければなりませんでした。ですから、長田さんに対してそんな失礼なことなどできないと、最初は講演をお断りしていたのですが、だったら前夜に長田さんとの懇親会があるので、そちらでご一緒して、長田さんにあらかじめその旨をお伝えしたらいいではないかということになったわけなのです。懇親会では、長田さんは残念ながらほとんどお酒が飲めないということでウーロン茶を注文され、他のメンバーは「船中八策・ひやおろし」(超辛口・純米原酒)にて乾杯したのですが、長田さんも舐める程度だったらと、一口分ほど注がせていただいたところ、「あ、おいしいっ!」と微笑んでくださったのです。さらに周りの皆さんが、土佐の鮮度抜群の魚料理をいただきながら、あまりに美味しそうに「船中八策・ひやおろし」を酌み交わしまくる姿を見て、もう一口おかわりまでしてくださり、本当に嬉しいかぎりでした。 さて私は、この翌日の長田さんの講演が聴けないということで、とにかくいろいろ質問攻めにさせていただき、たくさんのお話を聴かせていただくことができました。実は私は、「らんまん」の台本を最初から最後までNHKさんから送っていただいており、放送より前に読ませていただいていたのですが、登場人物たちの言葉が脇役に至るまで素晴らしく、さらに構成や展開も見事で、とにかくメチャクチャ素晴らしい脚本でしたと、まずは本気で誉めちぎらせていただきました。長田さんは、「ありがとうございます。」と少し照れながらも、「作家として書きたいだけの言葉なのか、本当にその人物に必要な言葉なのかを、厳しく判断しながら書いています。」と語られました。「AERA(2023.10.2No.44)」(朝日新聞出版)の取材記事「現代の肖像劇作家・脚本家長田育恵」(加賀直樹筆)の中でも、「らんまん」執筆中、長田さんが強く思っていたことがあると書かれています。数々の新種の植物を探し当て、新しく名付けることは、相手の「本当の名前」を見つけることでもある、つまり植物の氏素性を知り、性質や特徴、どこで生きるかも調べ抜いて初めて「本当の名前」を特定できるのだと。この解釈を、長田さんは人物描写にも当てはめたのだといいます。名前を持った一人ひとりがどう生き、死んでいったのか。長田さんは常に意識し続けたのだというのです。「だからなのか、長田によって生み出される登場人物は、誰もが好もしい。誰ひとり徹底的には憎めない。一人ひとりの人物像を、彫刻刀のように、言葉でこつこつと造形していった。」と、「AERA」の記事には書かれています。 次に、私が「らんまん」前半の屈指の名シーンとして挙げたい場面、それは、万太郎が実家の造り酒屋を継がず、植物学の道へ進むことを決め、自身を育ててくれた祖母のタキ(松坂慶子)にそのことを告げるシーンなのですが、ここを取り上げましょう。「おばあちゃんの孫と生まれて、ほんまに、ほんまに、幸せでした!」…この万太郎の言葉にタキはこう言い返します。「ワシは、許さんぞね!ワシは、決して、おまんを許さんぞね。許さんぞね……!」…この台詞(セリフ)に込めた真意を、「AERA」の記事で長田さんはこう語っています。「タキの、万太郎への最後の贈り物。『許さない』という言葉があるからこそ、それでも万太郎は出ていく。一生をかけて植物学の道を行く決意を万太郎にさせるんです。同時に、肉親としての愛情が深く伝わります。最大限の励ましの言葉です。」と。さらに長田さんは語っています。「あらすじを考える時は、筋しかわかりません。書き始めてみて、登場人物の目に乗り移りながら書いていく。書きながら、視界に何が見えているかがわかると、初めて台詞が書けるんです。」と。また、長田さんは劇作家井上ひさしさんの最後の研修生だったとのことで、井上さんの「人が人生で一度だけ言うような、言葉に本当の意味が宿る瞬間を、必ず劇のなかに書き込みなさい」という言葉を、今もとても大切にしているのだと語ってくださいました。綾(佐久間由衣)と竹雄(志尊淳)が、本家の酒屋である「峰屋」を廃業することを分家の三人に報告するシーンで、それまで超脇役と思われていた分家のバカ息子が、突然綾と竹雄に駆け寄り2人の肩を抱いて涙ながらに発した、「たっしゃでな!たっしゃでな!」という言葉に、私は思わずウルウルしてしまいました。大変失礼な言い方ですが、まさか自分がこんな超脇役のバカ息子の言葉に涙してしまうとは思ってもおらず驚きだったのですが、これがまさに「人が人生で一度だけ言うような、言葉に本当の意味が宿る瞬間」であったのだとあらためて気づかせていただき、大納得したのです。 「AERA」の記事では、長田さんの書く演劇や脚本について、長田さんの周りの方々の言葉も紹介されていますので、そちらも紹介しておきましょう。長田さんの主宰する劇団「てがみ座」で演出も担う俳優の扇田拓也さんは、「長田さんは、胸に秘めていた『とっておきの言葉』に向かうための物語をつくる。取材では必ずその場所に出向き、主人公が育った村や町のにおいをかぐんです。」と語っています。実際長田さんは、今回の「らんまん」の脚本家に決まった際にも、何度も何度も高知県へ佐川町へ、足を運んだのだと語られていました。また、「劇団四季」の吉田智誉樹社長は、「長田さんの書く台詞は、背景にとんでもなく大きなイデアをイメージさせる。以前は、舞台でこそ映える言葉なのかなと思っていましたが、テレビドラマを観て考えを改めました。球が速く勢いが良いのに加え、老獪なコントロールピッチャーの技まで覚えらえた。身体に気を付けてほしい。あなたは演劇界の宝だから。」と語っています。そして、「らんまん」劇伴の作曲を担った音楽家の阿部海太郎さんは、「長田さんは北極星。絶対的に揺るがない。だから、北極星だけを道標として曲をつくりました。」と語っています。ここ数年、長田戯曲の数々の劇伴を相次ぎ手がけてきた阿部さんは、今回は重厚な弦の調べも含め約90曲の楽曲を制作し、すべて生の楽器で録音し臨んだのだといいます。さらに、「長田さんの戯曲の美点は、必ずラストで圧倒的な何かに向かうこと。長田さんっていう人自身に、それを感じます。作りたい作品が、一度も揺らぐことがない。同世代の作家として励みになる。僕らの世代の表現者は、戦前・戦後を跨いだ世代の人たちと比べ、勉強が足りているか危惧があります。でも長田さんには、そこに対抗できる大きさと視野の広さがある。脅威ですらある。自分も頑張らないと。」と語るのです。そして最後に、「AERA」の記事を書いた、元朝日新聞記者のライター加賀直樹さんは、「長田の編む物語の登場人物は皆、思いもよらぬ運命に翻弄される。観る者の心は、そのたび揺さぶられる。けれども最後には必ず、光射すほうへ向き直す描写を織り込んでくれる。それこそ北極星のように、漆黒を照らす唯一無二の光として。」と表現しています。 また、長田さんにいろいろお話をうかがう中で気づいたのですが、牧野博士のみならず、「らんまん」に登場する実在の人物のモデル、一人ひとりについても徹底的に調べ尽くされているようでした。そこで、万太郎の幼なじみの佑一郎くんは、実は佐川町出身の広井勇博士がモデルであり、彼は日本近代土木の礎を築いたという偉人ですから、私は「次は是非、佑一郎くん(広井勇博士)を主人公にした物語を書いてください!」と、つい長田さんにお願いしてしまいました。すると長田さんは「いいですね!書きたいです!」と、ニッコリ微笑まれたのです。是非是非、宜しくお願い申し上げます!長田さん、他にもここでは言えないようなたくさんの裏話などもお聴かせいただき、本当にありがとうございました! 【「らんまん」は“つながり”の物語】 そして、あらためて「らんまん」全体を振り返ってみて、“つながり”の物語であったと私はつくづく感じました。下戸でありながら老舗酒蔵の跡取りの一人息子として生まれた万太郎。しかし、それが様々な“つながり”を生み、竹雄という良き相棒に恵まれ、また酒蔵からの援助も受けながら、植物学に邁進できたわけです。また、自由民権運動家・早川逸馬(宮野真守)との“つながり”から、ジョン万次郎(宇崎竜童)とも“つながり”が生まれ、東京大学植物学教室への出入りを田邊教授(要潤)が許したのも、このジョン万次郎との“つながり”が功を奏したともいえるわけです。さらに、十徳長屋の住人たちとの“つながり”、大畑印刷書の方々との“つながり”、そして最愛の妻となる寿恵子との“つながり”……等々、様々な縁の歯車が回り、人と人との縁がつながって、万太郎の運命が拓けていく。数多くの伏線も含め、この“つながり”をこれほど見事に表現したドラマは、近年他に類を見ないのではないでしょうか。 そして、脚本家の長田育恵さんも「産経新聞」(2023.9.25)の取材に応えて、次のように語っています。「『らんまん』は高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにしていますが、偉人伝ではなく、植物を生涯愛するというシンプルなテーマを持った一人の人物がいて、その人物を“広場”に見立て、そこに集まる人々、関係性、ネットワークというものをドラマとして描き出そうと思いました。だから神木さん演じる万太郎は、愛情深さゆえに弱いキャラクターになっています。(中略)そして最終週は、“継承”が大きなキーワードになっています。牧野富太郎さんが生涯かけて集めた標本は40万点以上あるのですが、これが後々活用されなければ、標本は生きることにはならない。万太郎が図鑑を作ると頑張り続けるのも、後の世へと手渡していくためなんです。植物が次に花を咲かせるため種を残していくように、万太郎も未来への種を残していきます。その生き方を最後まで楽しみにしていてください。」と。やはり「らんまん」は、継承も含めた人と人との壮大な“つながり”を表現した物語だったのです。 【現代のSNS社会の恐ろしさ!悪意の“つながり”!】 ちなみに、「らんまん」の前々作にあたる朝ドラ「ちむどんどん」は、あまりに成長しない主人公が嫌われてしまったことや、他の登場人物や物語の展開などにも非難が集まったことなどにより、SNS等のネット上で叩かれまくり、主演女優の方は一時ノイローゼ気味にまでなったらしいとのこと。そういう意味では、「らんまん」の主人公の槇野万太郎も、自分では一切働かず、竹雄の稼ぎと実家のお金を頼り、実家が潰れたら妻・寿恵子の稼ぎに頼り、さらに子供が大きくなったら子供の稼ぎにまで頼り……という具合で、「働かない、金づかいがあらい、借金する、家を空けまくる」という、ある意味成長しない主人公だったわけですから、「らんまん」も「ちむどんどん」以上にボロカスに叩かれる可能性もあったのです。それがほとんど叩かれることなく、名作と言われる朝ドラとなれたのは、ひとえに長田さんの脚本の言葉の力と、“つながり”の物語の表現力と、天才俳優・神木隆之介さんの力であったといえるのではないでしょうか。 しかし、現代のSNS社会の恐ろしさは、国民的番組といわれる朝ドラであっても、容赦なくバッシングを受けることがあるという点です。誰か一人がSNSで批判を投稿すると、それが次々に広がっていき、批判が批判を呼び、バッシングの嵐となる……それはまるで、「らんまん」の“つながり”の物語とは真逆の、“悪意のつながり”とも表現できるでしょう。そもそも現代は、資本主義社会が行き詰まり、そこにコロナ禍が拍車をかけ、「この世界は悪意に満ちている!」「人は弱い者をいじめ、自分のことしか考えない!」と思っている人が増えているとも語られています。そこにSNSが加われば、昔だったら許されたことであっても、何かひとつ失敗を犯し、その初期対処を間違ってしまったなら、もはや世界中から袋叩きに遭うことを覚悟しなければならないということであり、それは私たちの誰しもに起こりうることなのです。しかも、その袋叩きにしている側の本人たち一人ひとりには、そんな意識はほとんどない。これが“悪意のつながり”の本当の恐ろしさです。私たちは何の悪意もないままに、“悪意のつながり”の拡散に加担しているかもしれないのです。……もしかしたらそんな世の中だからこそ、真逆の「らんまん」のような“善意のつながり”の物語が求められ、感動を呼んだのかもしれないともいえるのではないでしょうか。 【現代の日本酒業界が学ばなければならない大切なこと】 さて、現代の日本酒業界、特にコロナ禍以降の日本酒業界を眺めてみたとき、私は非常に危機感を感じています。コロナ禍となって以来、メーカー同士あるいは酒販店同士の間で、「コロナだから…」「未曾有の危機だから…」「背に腹は変えられない…」といった言葉が、アチコチで囁かれているのを何度か耳にしました。そしてそんな中で、何軒かのメーカーや酒販店が、これまでの商売道徳に反するような行動に出たという噂が聞こえてきたのです。さらに、どうやらそのような行為がこの業界に拡散しつつあり、しかも「アイツはこんなズルいことをやって儲けているらしい。自分もやらなきゃ損だ!」みたいな空気が蔓延し、あたかもそのような行為が正当化されつつあるようなのです。それはまるで、「らんまん」の“つながり”とは真逆の、“悪意のつながり”が拡散されているかのように私には感じられます。「未曾有の危機だから」「背に腹は変えられない」…ということなのでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか。私たちの業界には、創業数百年という老舗も少なくありません。ならば、「未曾有の危機」など、コロナ禍が初めてではないはずです。明治維新や第二次世界大戦を考えるならば、日本中がコロナ禍以上に未曾有の危機であったはずです。また、地域を限れば関東大震災も、さらに近年では阪神淡路大震災や東日本大震災もあり、これらも未曾有の危機であったはずです。 司牡丹酒造も戦中戦後の時代、原料の米が入手困難となり、売り上げが前年の10分の1になったことがありました。世の中に粗悪な酒が蔓延する中、当時の社長で私の曽祖父の竹村源十郎は、「売り上げは落としても酒の品質は落とすな!」と社内に厳命し、司牡丹の品質を守り抜いたのだといいます。これが、戦後しばらく経って原料米が普通に入手できるようになってから、「あんな時代にも品質を落とさなかった!」と、全国の取引先から大きな信用を得ることにつながり、注文が殺到したのだそうです。ちなみに司牡丹の社是「源・和・創・献」の「源」とは、この源十郎の心を心とするという意味を含んでいるのです。ですから、コロナ禍の「まん延防止等重点措置」により、全国の飲食店で酒類の提供が制限された際、司牡丹の売り上げが通常の3分の1となった(3ヶ月ほどですが)ことがありましたが、私は社員に「源十郎は、売り上げが10分の1になっても品質を落とさなかった!」ということを伝え、あらためて社是の「源」を意識させるだけで、社内全体のモチベーションを維持することができたのです。 そして私は、曽祖父源十郎から学んだことと同様のことを、違う形であらためて「らんまん」から学び直させていただいたと感じています。それは、“悪意のつながり”などに加担することなく、“善意のつながり”を大切にしていくことであり、またそれは、老舗ならではの商売道徳を貫くことであり、自身や自社の美学でもあり、矜持でもあるのだと思います。確かに今の世の中は悪意に満ちているのかもしれません。しかし、それでも!だからこそ!善意の縁は必ずつながり、いつしか花を咲かせるのだと信じています。きっと誰かが見てくれている。たとえ誰も見ていなかったとしても天は見てくれているのですから。