【門前編】「考える」を考える!そして日本酒を考える!

First part of the gate

今回は、少し以前の発行になりますが、大変読みやすい100ページほどの短い書籍、「哲子の部屋<Ⅰ>~哲学って、考えるって何?~」(監修:國分功一郎 NHK「哲子の部屋」制作班 河出書房新社 2015年5月30日発行 980円+税)を参考に、まずは「考える」について考え、そしてそこから日本酒についても考えてみたいと思います。ちなみにこの書籍は、哲学者の國分功一郎さんを指南役に、女優の清水富美加さんと異才タレントのマキタスポーツさんという、3人の鼎談形式にて書かれています。またこの書籍は、「ATP賞」を受賞したNHKEテレ特番「哲子の部屋」第三弾「第1回」(2014年8月18日放送)を元に、未放送の収録内容を大幅に加えて再構成したもので、同番組は第3回まで放送され、この書籍も「Ⅱ」と「Ⅲ」があり、3巻が同時刊行されています。 【そもそも哲学って、考えるって何?】 まず本書の「第一幕」は、「そもそも哲学って、考えるって何?」というタイトルがつけられています。そして、指南役の國分先生は、「今回の大きなテーマは、『人生を楽しくする哲学』というのにしたい」と語るのです。そして、対話のきっかけになるような言葉として、「きょうのロゴス」(※ロゴス=ギリシア語で言葉という意味)を紹介しています。 <きょうのロゴス>「人は考えるのではなく、考えさせられる」 そして、國分先生は、「考えるって楽しい!」というようなフレーズがよく使われていますが、「考えることが楽しいって、もしかしたら嘘じゃないですか?」と言いたいというのです。「人生を楽しくする哲学」とか言いながら、逆の方向に行くかのような言葉に驚く、マキタさんと清水さん。そして、哲学者とは、みんなが「大体こんなもの」と思っているようなことを疑う人であり、“新しい考え”がそこから出てくるのだといいます。そして、デカルトは座標を考え出した人であり、式だけで考えるより、図になった方が分かりやすいし、数式の見方を一変させてしまったのだと語るのです。さらに精神科医のジークムント・フロイトは、「心は“無意識”に支配されている」という考えを打ち出したことで哲学者扱いとなったのだと語っています。続いて國分先生は、「哲学とは?」という究極的な問いに、気持ちがいいくらいズバリ答えたというジル・ドゥルーズを挙げ、その言葉を紹介するのです。 「哲学とは“新しい概念”を作り出すこと」(ジル・ドゥルーズ「哲学とは何か」より) 簡単に言うと、概念とは「モノの見方・考え方」ということで、たとえば座標とか無意識といった概念が出てくると、もはやそれ以前にはどうやって物事が考えられていたのかを想像できないほどにモノの見方や考え方が変わってしまう……哲学者とは、そういう概念を作り出す人なのだとドゥルーズは言っているのだと語るのです。そして、今回のテーマ「考える」に関してもドゥルーズは、“新しい概念”を出しているのだといいます。しかもこれが、ちょっと大げさな言い方をすると、哲学の二千年以上に及ぶ歴史の、ある種“盲点”を突くような……と語り、以下のドゥルーズの言葉を紹介するのです。 「思考という積極的意志が、人間の中にあると想定するのは、哲学の犯す誤りである」(ジル・ドゥルーズ「哲学とは何か」より) ドゥルーズは「人間はめったに考えない」と言っているのであり、哲学者たちは理想の人間像を作って、「こうやって人間は考える!」とか言っていますが、「お前ら、全然人間見てないだろ!もっと人間をよく見てみろ!」とツッコミをいれているのだというのです。そして、「<きょうのロゴス>人は考えるのではなく、考えさせられる」と、「人間が『考えるぞ!』っていう積極的な気持ちを持っているなんて、嘘っぱちだ」というドゥルーズの言葉の二つを混ぜて考えるといかがでしょうと國分先生は投げかけ、「第一幕」を締め括るのです。 【映画「恋はデジャ・ブ」で「習慣」を哲学!】 「第二幕」では、一部に熱狂的なファンを持つ傑作ラブコメ映画、「恋はデジャ・ブ」を教材に取り上げています。そして、あるシーンに注目します。ある日、主人公の男が朝目を覚ますと、なぜか「同じ日」が延々と繰り返されるようになってしまいます。「同じ日」を繰り返すこの映画の最もユニークな点は、何度も同じシーンが登場することで、特に注目したい「繰り返しシーン」を、本書では4コマ漫画のように取り上げています。 <1回目>①ホームレスのおじいさんとすれ違う主人公(ポケットを探りながら素通り)。②知り合いに声をかけられる。③今夜の食事を誘われるが断る。④水たまりにハマる主人公。
<2回目>①ホームレスのおじいさんとすれ違う主人公(無視)。②知り合いに声をかけられる。③いきなり誘いを断る。④水たまりにハマる主人公。
<3回目>①ホームレスのおじいさんと出くわし「ウワッ!」と驚く主人公。②知り合いに声をかけられる。③知り合いを押しのける。④水たまりにハマる主人公。
<4回目>①ホームレスのおじいさんとすれ違う主人公(「寒いね」と声をかける)。②知り合いに声をかけられる。③知り合いを殴る。④水たまりにハマらない。
注目したいのはホームレスのおじいさんに対する主人公の対応で、1回目は財布を持ってないフリをし、2回目もそれをやろうとしますが、3回目はおじいさんに驚きます。備えられたはずなのに驚くのです。普通は繰り返すと気づきが大きくなる感じがしますが、ある時は気づくがある時は気づけないということがあるのではと指摘します。つまり意外に、自分が見ている世界は、自分の都合がいいように省略しているのだと。そしてこの例から、國分先生は「習慣」という言葉を考えてみたいと語るのです。習慣には、早起きなどの頑張らないと身につかないようなものから、「毎日同じ道を通る」みたいに当たり前になっているものまで、生活の中にはたくさんの習慣があり、そして習慣に沿って生きている時には、目に入っているのに見ていないというようなことが起こっているのだというのです。習慣とは、同じことを繰り返すわけですから、朝起きてから出発までの間にやることというのは"パターン化"しており、ほとんど考えないでできるのだといいます。ですが、同じ日を繰り返す映画とは違い、現実世界では、顔を拭く時「タオルが三日目で臭い」とか、天候も違うし、何もかもが同じ日なんて存在しないわけで、本当はいろいろ違うのに同じようにできるわけですよね、と國分先生は指摘し、ここでまた、ドゥルーズの言葉を紹介するのです。 「習慣とは、日々の繰り返しから"違い"を無視したもの」(ジル・ドゥルーズ「差異と反復」より) 人間はモノを受け取る時に、いろんなことを"無視"しているのだといいます。つまり習慣とは、いろんな新しい刺激を無視することでつくられ維持されるもので、無視できないと刺激にいちいち反応して不安定になるのだというのです。ですから、習慣がない生活がもしあるとしたら、四六時中肝試しをしているような状態なのだと國分先生は語るのです。そして、習慣とはモノを考えない状態であり、その状態を作り出すのは結構大変で、最初はすごく一生懸命やらないと習慣にならないのだとか。すると、人間はものすごく努力しながら、何にも考えなくてもいい方向へ向けて生きているということになるのだと語るのです。さらに、落ち着いた毎日のために習慣が必要だともいえ、子どもが習慣を身につけるべきなのは、それにより初めて落ち着いた毎日が送れるようになる、でなければ勉強もできないのだと。ですから、習慣は生きていく上で必要不可欠なのだと、國分先生は「第二幕」をまとめるのです。 【人はどんな時に、考える?】 ならば、逆にどういう時に人は考えるのかと國分先生は問いかけ、ここで再び、映画「恋はデジャ・ブ」を観ながらこの問題へのヒントを探っていきたいと思うと語るのです。 延々と繰り返される「同じ日」……主人公は、暴飲暴食、ゆきずりの恋、お金を盗んだりとやりたい放題となり、そんな中、深夜の路地裏でいつもすれ違っていたホームレスのおじいさんを見かけ、主人公はおじいさんを病院へ連れて行きます。しかし、おじいさんは亡くなってしまいます。「同じ日」を繰り返す世界で、なんとかおじいさんを助けようとしますが……。毎回おじいさんは亡くなってしまいます。その後、主人公の行動は一変するのだといいます。人助けに奔走する主人公……主人公を変えたものとは、一体何でしょうか? 國分先生は、主人公は同じ日を繰り返していますが、その中でも習慣ができてくるはずだといいます。たとえば「もう暴飲暴食でいいや」とか、そういう習慣を彼は生きているはずですが、やはりその習慣を突き崩すようなことがたまにあり、それがここではホームレスのおじいさんの死だったのだと。イレギュラーなこと、いつもと違うこと、そういうことが人間にモノを考えさせるのではと指摘し、ドゥルーズはこうまとめているのだというのです。 「思考の最初にあるのは"不法侵入"」(ジル・ドゥルーズ「差異と反復」より) 人間が必死で作って維持している"自動的なパターン"に、不法に入ってきてそれを壊しにくるものがたまにあるのだといい、ここで國分先生は、「考えるのではなく、考えさせられる」という言葉を思い出してほしいというのです。つまり、考えるというのはやろうと思ってやれることではなく、むしろ何かによってさせられることで、やるというより起こること、出来事みたいなものだと語るのです。そして、よく「人間には考える力がある」とか言うけれど、別に普段から考えようとしているわけではなく、逆に考えたくないのだと指摘します。だから「考えるって楽しい!」というような常識は間違っているのだと。さらに、習慣とは新しい刺激から身を守る盾のようなもので、そのおかげで同じことを繰り返しながら考えずに生きていられますが、しかしその盾を破壊するようなものがどうしても来るから、やはり考えてしまうのだというのです。とはいえ、その新しい刺激にも慣れていき、それを習慣の一部にしていくのだと。新しい考え方に出会うとかもそうで、だんだん、それが自分の今までの考え方になじんでいくとか……等々。不法侵入というのは、本当に広い意味で考えられると思うと語り、そして國分先生は今回の結論として、次のロゴスを紹介しています。 <〆のロゴス>「習慣は、思考の母」 要は、習慣がないと新しい刺激を受け取れないのだといい、さらに習慣を作って生きていけるのが、"生きる力"かもしれないと國分先生は語っています。そして、習慣を今回のような視点から考えると、毎日同じように繰り返して生きていくのは、そんなに悪いことじゃないどころか、必要なことなんだと感じませんかと語りかけるのです。こうして、締め括りに國分先生は、今回扱った概念の中心はドゥルーズの思考と習慣の概念だったとし、哲学の勉強は誰が何と言ったとかを暗記するイメージかもしれませんが、本当はそういうことではないのだといいます。習慣の概念なら、たとえば違いを無視することとか、自動化とか……いろんな要素が絡み合いネットワークみたいになっているわけで、そうした要素を整理して、理解して、身につける、これが哲学の勉強なのだと語るのです。今回取り上げた思考と習慣にしても、それが身につくと日常生活の見方や生き方に変更をもたらすことがあるのだといいます。これまでの哲学者たちがつくったいろんな概念があり、それを勉強するのは面白いし、人生を楽しくすることにもつながるし、モノの見方を変えてくれるのだと。「だから、まぁ、ちょっとは役に立つでしょ、哲学って?」と、國分先生は締めくくるのです。 「人は“考えない”ように生きる。しかし、時に“考えさせる”何かと出会う。」 【人の1日の意思決定量は決まっている!「決断疲れ」を防ぐには?】 本書を読了し私が思い出したのは、Apple創業者のスティーブ・ジョブズさんも、Facebook創設者のマーク・ザッカーバーグさんも、いつも同じような服装をしているという事実です。女性でもAIベンチャー「シナモン」のCEO平野未来さんは、「セブンルール」という番組で、自分の限られた意思決定の力を、未来を創ることに使いたいので、洋服は7パターンから着回すのをルールにしていると語っていました。ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、「今日は何を食べよう」とか「どの服を着よう」とか、人は1日に最大3万5,000回もの決断をしているのだそうです。情報を整理し、比較し、検討し、決断にたどり着くという処理が、1日に3万5,000回も脳内で行われているというのですから、消耗するのは当然であるといえるでしょう。肉体が疲労するのと同様に、決断を続けていると脳が疲労し、徐々に決断の質が低下してくるのだそうで、これが「決断疲れ」です。 そして、予防医学研究者の石川善樹さんの「疲れない脳をつくる生活習慣~働く人のためのマインドフルネス講座~」(石川善樹 著 三笠書房 知的生きかた文庫 2021年4月発売 650円+税)によれば、「人間が1日に使える意思決定の量は限られている」のだそうで、その意思決定の量を使い果たすと、理性ではなく欲望が支配し、イライラしたり相手にきつくあたったりと、冷静な判断ができなくなってしまうのだというのです。このような「決断疲れ」を防ぐには、「糖分を補給する」「場所を変える」「姿勢を正し深呼吸してリラックスする」(※同書によると、坂本龍馬さんの写真のような座り方がお手本なのだとか。)等の対策があるようですが、やはり王道は、重要ではない案件に意思決定の力をできるだけ使わないことであり、それはつまり「ルールを決めて習慣化する」ということになるわけです。「習慣は、思考の母」を、意思決定量や決断疲れという観点からも補強することになり、よりこの結論が強化されることになるのだといえるでしょう。 【そして日本酒を考える!】 そして要は、大切なのは自分にとって何が重要な決断なのか、その軸を持つことだといえます。ジョブズさんもザッカーバーグさんも、服装は重要ではなかったということで、もし自分にとって服装は重要ならば、毎日の服装について大いに考えて決断すればいいのです。さて、私たち「酒道家」を志す者や日本酒ファンの方々にとっては、当然日本酒については重要な決断になりますから、たとえば居酒屋の日本酒メニューを見て何を注文するかは、大いに考えて決断をくだすわけです。しかし、一般の方はどうでしょう?前々々回の「『日本酒?ウィスキーですか?』の衝撃!」に書いたように、日本酒という言葉の意味も分からないような、日本酒に全く無関心な人たちが増えているのだとしたら……。それでなくても、人は努力しながら何にも考えなくてもいい方向へ向けて生きているのですから、お酒の注文は「とりあえずビール」とか、「私もレモンサワー」とかになってしまうわけなのです。 そんな中で、多くの方々に日本酒を選んでもらうには、それは「不法侵入」しかないでしょう。つまり、人間が作って維持している、「とりあえずビール」等の"自動的なパターン"に不法に入りこんでそれを壊し、そして「考えてもらう」ことで、日本酒を選んでもらうということになるわけです。このように考えると、一般の方々に日本酒を選んでもらうことは、そう簡単ではないのだということがよく分かるでしょう。まず“自動的なパターン”に不法に入りこむのが、なかなか大変です。何も考えなくてもいい方向へ向けて生きている方々が、思わず立ち止まって考えてしまうというくらい、インパクトがなければならないからです。そこをクリアして初めて考えてもらうことが可能になりますが、さらに次に、考えてもらったその上で日本酒を選んでもらわなければなりません。つまり、「インパクトを与える」→「考えてもらう」→「日本酒を選んでもらう」という3つのハードルをクリアしてもらわなければならないということなのです。これからの時代は、ここまでしっかり考えて、日本酒普及の戦略を立てていかなければならないのだといえるでしょう。では最後に、前回の「付加価値を上げファンを増やす、日本酒の『価値創造』とは?」に習って、この3つのハードルをクリアしてもらえるような、日本酒の「情報デザイン」の例を挙げておきましょう。 <【重要!】鮮度抜群の刺身を、あなたはマズくして食べたいですか?> 「当店の刺身は全て獲れたて鮮度抜群です。そのため、その美味しさを一層堪能していただくには、『とりあえずビール』や『私もレモンサワー』ではなく、是非とも当店自慢の『辛口の日本酒』と共に味わっていただきたいのです。『辛口の日本酒』は、鮮度抜群の刺身の美味しさを、出汁のように下から支えて押し上げ、グンと引き立ててくれます。まずは騙されたと思って、当店イチオシのこの日本酒をご注文ください。もしお気に召さない場合は、この日本酒のお代分は返金させていただきます。」 この例は、まずインパクトを与えるため、「エッ?」と思うような「マズくして」というひっかかる言葉をあえて使い、さらに考えてもらうために質問形式のキャッチにしている点がポイントです。さらに、日本酒を選んでもらうための考えてもらうヒントになる内容を加え、ダメ押しで「ここまでやるか!」という自信を見せるために、返金保証までつけています。この例は、刺身と辛口日本酒の相性の良さを訴求した事例ですが、これ以外にも3つのハードルをクリアしてもらえるような日本酒の「情報デザイン」の例は、まだまだいくらでも考えられるはずです。そして、そんな日本酒の「情報デザイン」が、日本中のあらゆる居酒屋のメニューや、日本中のあらゆる酒販店の店頭や、日本中のあらゆるスーパーの酒売場や鮮魚売場などにしっかりと掲げられたならば、日本酒復活の未来が実現するのは、そう遠くはないといえるでしょう。