【門前編】「酒ビジネス」を読んでの抜粋と補足説明<前編> First part of the gate 【門前編】「酒ビジネス」を読んでの抜粋と補足説明<前編> 以前に「魚ビジネス」(ながさき一生著 クロスメディア・パブリッシング 2023年4月21日発行 1580円+税)という書籍を取り上げ、「『魚ビジネス』から日本酒を考える!」(「前編」「後編」)というテーマをお伝えしたことがありましたが、このシリーズの書籍に「酒ビジネス」(髙橋理人著 クロスメディア・パブリッシング 2024年10月31日発行 1580円+税)という、そのものズバリの書籍が発行されましたので、今回と次回はこの書籍を取り上げ、「前編」「後編」としてご紹介したいと思います。ちなみに著者の髙橋理人さんは、大手化学メーカーに新卒入社後、赴任地の新潟県で日本酒に開眼し、好きが高じて現在は日本酒に関わる仕事(日本酒の輸出、日本酒サブスク、酒蔵プロデュース、酒イベントの企画等々)をされており、年間2,000種類以上の日本酒を飲んでいるとのこと。また資格としては、J.S.I認定「SAKEDIPLOMA」、「ワインエキスパート」、SSI認定「唎酒師」なども取得されています。 【「八海山」に学ぶ酒ビジネスの世界】 まず第一章では、新潟県の「八海山」の醸造元である八海醸造を中心に取り上げています。同社では、日本酒以外にも、焼酎や梅酒や地ビールに加え、グループ会社が北海道のニセコにてジンとウイスキーも製造を行っているのだそうです。さらにノンアルコールの分野では、甘酒やオリジナル化粧品ブランドも展開しているのだとか。また、東京には直営店「千年こうじや」を構え、魚沼の食文化を発信するとともに、地元の南魚沼市には日本酒を製造する酒蔵を中心として、7万坪の敷地に「魚沼の里」というリゾート地を思わせる複合施設を展開しているのだといいます。さらにさらに、海外においても、アメリカ・ニューヨーク州初のクラフトSAKEメーカー「BrooklynKura」と、パートナーシップを締結したのだそうです。これほど多方面の分野でダイナミックな展開を行っている酒蔵は他に例がないと著者は指摘しており、それがゆえに第一章で取り上げたのだということでしょう。ちなみにこの書籍が発売された後の追加情報ですが、2025年3月に八海醸造は、大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・ドジャースと2年間のパートナーシップ契約を締結し、「八海山」はドジャースの公式日本酒として採用されています。八海醸造の目標である「SAKEを世界飲料に」という夢の実現に向けて、大きな一歩を踏み出したのだといえるでしょう。 そして著者は、「地域活性化のカギを握る酒蔵」というテーマについても語っています。酒蔵は、地元の農家から酒米を仕入れることで地域の農業を支えており、さらに酒蔵自体が観光資源にもなり得るため、観光客誘致が進めば、地元の宿泊施設や飲食店への経済効果も期待できるのだというのです。そしてその好例が、八海醸造の「魚沼の里」なのだといいます。この「魚沼の里」の成り立ちは、著者も指摘しているとおり大変興味深いもので、かつては蔵の一般公開もしておらず、周辺には気軽に立ち寄れる飲食店もなかったため、少しでも地域を感じられるように、蕎麦屋や甘味処を整備したのが始まりだったのだといいます。その後も、清酒「八海山」が生まれた背景を五感で感じていただきたいとの想いで、「郷愁と安らぎ」をテーマに整備をし続けたのだというのです。結果的に、今では10件以上の設備・施設がありますが、自然発生的な集落であるところが大きな特徴なのだといいます。完成されたテーマパークではなく、酒づくりの場と地元ならではの産品、そしてホッとするような心地の良い風景が混じり合う郷愁を感じさせる空間となっているため、「魚沼の里」は「また行きたい」と思わせる魅力があり、だからこそ年間30万人以上が訪れているのだと、著者は語っています。 【口噛み酒に学ぶ歴史の世界】 第二章は、「口噛み酒に学ぶ歴史の世界」です。この章で著者は、まず世界のお酒の起源について語っています。そして、人類最古のお酒としてハチミツ酒(ミード)を挙げています。ワインの起源は約8000年前、ビールの起源は約7000年前といわれていますが、ハチミツ酒の起源は約1万4000年前といわれているのだそうです。続いて日本最古のお酒は、実は山ブドウから造ったお酒(ワイン?)だといわれており、5500年前の縄文時代、青森県三内丸山遺跡の地層から酒造りの形跡が見つかっているのだといいます。日本酒の起源としては、奈良時代の「大隅国(おおすみのくに)風土記」(西暦713年頃)に、アニメ映画「君の名は。」で知られるようになった「口噛みの酒」についての記述があるのだそうです。一方、「播磨国風土記」(西暦713年頃)には、麹菌(カビ)を利用して酒を造らせたという記述があるのだそうで、これが今の酒造りの原型といえるでしょう。そして奈良時代には、酒造りは国家プロジェクトとして行われ、酒造りの部署である「造酒司(みきのつかさ)」が置かれていたのだといいます。平安時代に入ると寺や民間での酒造りが広まり、仏教の力が高まってきた室町時代には寺院での酒造りが主流となり、日本酒造りの原型が確立しますが、この酒は「僧房酒」と呼ばれたのだそうです。その後戦国時代となり、織田信長により寺院の力は弱まり、「寺の酒」の時代が終わり、再び民間での酒造りが主流になるのだといいます。そして江戸時代には、上方(関西)でお酒の大量生産が行われ、最大消費地である江戸(関東)に大量に輸送するというモデルが確立されるのだそうです。当初上方の銘醸地は伊丹や池田でしたが、その後物流上有利な神戸市から西宮市に位置する「灘地区」が日本最大の銘醸地として躍り出たのだといいます。 江戸時代が終わり、新たに明治時代が始まると、「富国強兵」をスローガンに、様々な制度改革が行われ、税制改革も行われます。その中でも酒税は大きな財源だったというのです。明治時代には、酒税を効率良く、漏れなく徴収するために、販売したお酒ではなく造ったお酒に課税する仕組み、「造石税」が導入されたのだといいます。この仕組みにより、造った瞬間から税が発生してしまうため、江戸時代には存在していた古酒文化は、ここで一度途絶えてしまったというのです。何と残念なことかと悔やまれます。しかし、明治時代には、別の面においては日本酒が大きく発展した部分もあります。それが「山廃酛」であり、「速醸酛」であり、さらに「きょうかい酵母」のスタートであったといえるでしょう。大正時代に入ると、第一次世界大戦の勝利による好景気に沸き、日本人は裕福になり、一般市民も白米を食べるようになり、米の価格は3倍以上に跳ね上がり、各地で暴動が多発する「米騒動」が発生したのだといいます。これにより、お酒造り用の米も不足したため、アルコールに糖類、アミノ酸などを加えて清酒に似た風味にした「合成清酒」が誕生したのだというのです。令和7年も「令和の米騒動」と言われるほど米の価格は跳ね上がりましたが、これはかつてなら、国民が暴動を起こしてもおかしくないほどの酷い状況だったのだといえるでしょう。 昭和の前半には、縦型精米機の開発や、今でも酒米の王様として君臨している「山田錦」が誕生(1935年)する等、日本酒の品質アップにつながる大きな進歩があったのだといいます。しかし、1937年に日中戦争が始まると、食糧として米を確保するために政府は酒造りの量を抑える「酒造半減令」を発布するのです。これにより、酒を水で薄めて販売する「金魚酒」(金魚が泳げるほど薄い酒)が蔓延します。さらに満州国ではアルコール添加の技術や合成清酒の技術を活かし、「三倍増醸酒」(通称:三増酒)が誕生したのだというのです。さらに戦後になると、敗戦により日本酒業界全体も壊滅的な打撃を受け、しかも食糧難により米が不足する中、本土に復帰した兵員などによって飲酒人口が増加し、酒類への需要が高まったのだといいます。こうして需給バランスが崩壊したため、メチル、カストリ、バクダン等と呼ばれる、失明や死に至るリスクがあるような密造酒が横行するようになったのだというのです。この状況を打開するために政府は、「三倍増醸酒」の導入を決断したのだといいます。「日本酒低迷の原因はこれだ」と槍玉に上げられることが多い、悪名高き「三倍増醸酒」ではありますが、この存在がなければ古来より続いた日本酒文化は衰退し、場合によっては絶滅していた可能性があったと思うと、著者は指摘するのです。この点は確かに、著者のおっしゃるとおりだと、私も思います。ただし、もっと早い段階で「三倍増醸酒」を廃止するべきだったとは思っていますが。 その後は高度経済成長の追い風を受けて、灘酒などのナショナルブランドの日本酒が全国を席巻していったのだといいます。しかし、1970年代に入ると、「地酒ブーム」が起こります。このあたりについて著者は、幻の酒「越乃寒梅」や、級別制度に問題提起した「一ノ蔵」(無鑑査本醸造)や、「吟醸酒ブーム」を牽引した「出羽桜」などの銘柄を取り上げていますが、私に言わせれば、ここに「日本名門酒会」を取り上げないのはおかしいと思います。無名だった全国各地の地酒銘酒を発掘し、全国各地の地酒専門店を育て上げ、「地酒ブーム」を牽引したのは、まぎれもなく「日本名門酒会」だったのですから。 【「獺祭」に学ぶ酒づくりの世界】 第3章で著者は、「獺祭」を取り上げ、そこから「酒造り」全般についてを説明しています。その最初に、「獺祭は何がすごいのか」というパートがあり、次のように紹介するのです。3代目の桜井博志社長(現会長)が継いだ頃は売上高1億円にも達しておらず、前年度比85%と大苦戦しており、いつ潰れてもおかしくないような状況だったのだといいます。しかし、そんなドン底のような逆境から一気に改革を行った結果、2010年に10億円を突破すると、2016年は108億円、2022年には165億円とうなぎ登りに売上高が増えていったのだそうです。さらに注目すべきは、売上の43%を占める70億円は海外輸出によるという点なのだといいます。2022年の日本酒全体の輸出額約475億円の、実に15%を「獺祭」が占めているという計算になるのだというのですから、これは確かにすごい数字だといえるでしょう。そして著者は、「獺祭」の何がすごいのかについて、まず原材料を取り上げ、「獺祭」では原材料に全量、酒米の王様「山田錦」のみを使っているという点を挙げています。さらに、その「山田錦」を半分以下に削る純米大吟醸酒のみを造っているのが「獺祭」であり、代名詞ともいえる「獺祭・磨き二割三分」は精米歩合23%で、発売当時は最高峰に磨いた日本酒だったという点などを挙げています。「獺祭」を取り上げて「酒造り」全般を説明しようというのが著者の意図ですから、ここはこの程度でもしょうがないことですので、私が考える「獺祭は何がすごいのか」について、少し補足しておきましょう。 「獺祭は何がすごいのか」の第一に私が挙げたいのは、まずは経営面で、「ピンチをチャンスに変えた経営戦略」です。著者は、「ドン底のような逆境から一気に改革を行った結果」と簡単に流していますが、実際は一気に改革が成功したわけではなく、ピンチや失敗を逆手にとっての大逆転だったのだと思っています。まず桜井社長が継いだ頃は、同じ地域に「五橋」という圧倒的人気の銘酒があり、当時の銘柄「旭富士」は地元では誰も買ってくれないということで、「獺祭」という新ブランドの純米大吟醸酒を創り、東京市場に打って出たというのが、第一の「ピンチをチャンスに変えた経営戦略」です。次に、地ビール「オッターフェストビール」を立ち上げますが、これが大失敗に終わり倒産のウワサが立って、杜氏に逃げられてしまいます。しかしこれを逆手にとって、データ重視の素人社員による酒造りという手法を生み出し、それが今の「獺祭」の酒造りの基盤となったのです。続いて、「獺祭は何がすごいのか」の第二に私が挙げたいのはブランド面で、「純米大吟醸酒のみへの絞り込みブランド戦略」です。「獺祭」が東京市場に進出し始めた頃、特に飲食店市場ではほぼどこの銘柄も本醸造酒か純米酒がメインで、高いものでもせいぜいで特別純米酒か吟醸酒か純米吟醸酒止まりでした。そこに「獺祭」は、他蔵の特別純米酒程度の価格で、純米大吟醸酒を投入したのです。日本酒の酒質などあまり意識していない消費者は、飲み比べたら「獺祭の方がうまい!」となります。他の蔵はほとんどが本醸造酒か純米酒ですから、純米大吟醸酒の方が美味しいと感じるのは当然といえば当然なのですが、このブランド戦略が功を奏し、飲食店市場に定着していったのだといえるでしょう。次に、「獺祭は何がすごいのか」の第三に私が挙げたいのはマーケティング面で、「山口県出身著名人を巻き込んだマーケティング戦略」です。まず、山口県出身のアニメーターであり脚本家であり映画監督の庵野秀明監督のアニメ映画「エヴァンゲリオン」に「獺祭」ブランドが登場したことは、それまで日本酒に興味を持っていなかった若者らに対する大きなPRにつながります。さらに、人気漫画「島耕作シリーズ」で有名な山口県出身の漫画家・弘兼憲史さんとのコラボや、山口県出身の安倍元首相がオバマ元大統領に訪日記念でプレゼントしたのが、「獺祭・磨きその先へ」だったのです。これら3つの「ピンチをチャンスに変えた経営戦略」、「純米大吟醸酒のみへの絞り込みブランド戦略」、「山口県出身著名人を巻き込んだマーケティング戦略」が、「獺祭」のたぐいまれなすごい点であると、私は考えています。 【新酒鑑評会に学ぶ日本酒コンテストの世界】 第4章で著者は、様々な日本酒コンテストを取り上げて紹介しながら、論評を展開しています。「全国新酒鑑評会」についての詳細からスタートし、国内コンテストとしては「SAKECOMPETITION」、「全国燗酒コンテスト」、「ワイングラスで美味しい日本酒アワード」等が紹介されています。そして海外コンテストでは、「全米日本酒歓評会」、「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)SAKE部門」、「KuraMaster」等が紹介されています。さらに、その年の日本酒コンテストの受賞実績をポイント化して酒蔵ごとに集計し、上位50の酒蔵を格付けするという、「世界酒蔵ランキング」(https://www.sakaguraranking.jp/)も紹介されています。2019年からのスタートと、まだ歴史は浅いですが、毎年12月に発表されて、徐々に年末の風物詩になりつつあると、著者は紹介しています。ちなみに「世界酒蔵ランキング2024」では、司牡丹は38位にランキングされているのです。 さらに著者は、「日本酒コンクールの最新トレンド」は、特に国際コンクールにおいて顕著であるとして、「オリジナルのカテゴリーによる審査」や、「現地の食べ物ごとに表彰を行う」コンクールや、料理との相性を審査する「フードマッチング審査」を行うコンクールが徐々に増えてきていると指摘しています。また、「プロはどうやってテイスティングをしているのか」というテーマで、プロのテイスティングの方法を詳しく紹介しています。その基本ステップは、➀見る(日本酒の色や透明度を観察する)、➁香る(香りの評価を言葉にする)、③味わう(舌全体で味わい、感じたことを言葉にする)、という3ステップであると紹介しています。また著者の場合、「黄色い味がする」「緑色の印象がする」等と、色が思い浮かぶことがあると語っていますが、これは私たち「酒道黒金流」の「共感覚唎酒法」に通じるものであるといえるでしょう。 【「ワンカップ大関」に学ぶ容器の世界】 第5章で著者は、様々な日本酒の容器等についてを取り上げて紹介しながら、容器がもたらした流通に関するイノベーションについてが語られています。まず、世界で初めて発売されたカップ酒として、「ワンカップ大関」が取り上げられています。「ワンカップ大関」が生まれたのは1964年10月10日で、日本で初めて行われた第1回目の東京オリンピックの開催日に合わせて発売されたのだというのです。このお酒の誕生は、それまでの日本酒になかった「カップ酒」という新しいカテゴリーを生み、日本のお酒の流通を大きく変えたといえる商品であったと指摘しています。「ワンカップ大関」が大きく飛躍したのは、鉄道弘済会との取引だったのだそうです。当時は、車内で日本酒を楽しむ場合は小さいサイズでも二合瓶を栓抜きで開けてキャップに注いで飲むのが普通だったのだそうですが、こぼしてしまうこともあり不便だったのだとか。それが、「ワンカップ大関」なら車内でも簡単にそのまま飲めるということで、レジャーブームにもあやかり、キヨスクでの販売が売上を大きく伸ばすきっかけとなったのだといいます。 続いて、「『パック酒は美味しくない』は本当か」というテーマが語られています。著者は、パック酒は「美味しくなさそう」というイメージを持っている方も多いかもしれませんが、その理由を料理酒と混同されている影響があるかもしれないと指摘しています。そして、紙パックは瓶よりも資材費が安く、大量生産ができて重量も軽く、輸送費は安価で済み、結果的に手頃な価格で販売されているということと、紙パックは瓶と比べて光を遮断する作りであり、紫外線の影響を受けにくいため、保存という点でも優れていると語っています。しかし、これだけでは「『パック酒は美味しくない』は本当か』という、消費者の疑問に答えきれていないと私は感じましたので、少し補足しておきましょう。まず、パック酒は1960年代後半に初めて登場し、普及したのは1980年代からだといわれており、確かにこの頃のパック酒は独特の容器の香りが付着しており、プロがテイスティングすると瓶容器のものとの違いが明確に分かるほどであったと聞いています。しかし近年は、紙パック容器の技術開発が進み、プロでも容器の違いを判別することが難しいレベルにまで達しているのです。また、パック酒がなぜ「美味しくなさそう」というイメージを持たれるのかの理由は、著者の指摘する「料理酒との混同」よりも、灘・伏見の大手ナショナルブランドがスーパー等でパック酒の安売り合戦を展開していることが、一番大きな理由であると私は考えています。2ℓのパック酒で1,000円を切る価格で販売されたりしているわけですから、これほどの安値では消費者に「美味しくなさそう」と思われても仕方ないのではないでしょうか。ちなみに司牡丹酒造では、1.8ℓのパックに水を入れて販売したとしても、この価格での販売は不可能なのですから。パック酒の容器は軽く、輸送にも消費者の持ち運びや家庭での保管にも便利で、近年では品質劣化も防げる優れた容器であるというのは事実ではありますが、大手ナショナルブランドが安売り合戦を止めない限り、「パック酒は美味しくない」というイメージを払拭することは、極めて困難であると私は思っています。 この後は、「缶の日本酒の魅力とその進化」についてが語られています。2020年以降、日本酒メーカーではなく、調達した日本酒の缶充填を行い、自社でブランディングを行う企業が日本酒市場に相次いで参入し、新しい消費者層の獲得に成功しているのだそうです。そんな代表的な缶入り日本酒として、「ICHI-GO-CAN」、「KURAONE」、「HITOMAKU」等が紹介されています。次に「なぜ一升瓶はなくならないのか」というテーマが語られており、その理由は、特に飲食店にとって一升瓶はリーズナブルであること、贈り物や儀式においては一升瓶に入ったお酒が今も一般的に使われていること、再利用できるため環境に優しい側面も持っていること、等が挙げられています。続いての「『パウチ酒』という新スタイル」では、お酒の容器の中でも今後拡大の可能性があるのが「パウチ酒」だと著者は指摘しています。パウチは途中で曲げることができるので、たたんで冷蔵庫の隙間に収納できますし、容器に使用される素材すべてがプラスチックなので、分別せずに丸めてそのまま捨てられるといったメリットがあり、瓶や紙パックの弱点を解消したのだというのです。さらに、パウチ酒は形状の柔軟性が高いので、段ボール一杯に敷き詰めることができ、輸送費のコストを考えると瓶の2倍以上の効率性が考えられるのだといいます。特に輸出においては、輸送効率の向上が大きなインパクトがあり、いずれ海外では当たり前にパウチ酒を楽しむ未来がやってくるかもしれないと著者は語るのです。 この章の最後には、「冷凍日本酒、海を越える」というテーマが語られています。近年、急速冷凍技術の進化が加速し、特に「液体凍結」という瞬間冷凍技術が注目されているのだといい、横浜市に拠点を持つテクニカンがこの技術のパイオニアであると紹介されています。テクニカンの「凍眠」では、マイナス30度まで冷やしたアルコールに食材を漬けることで、一気に凍結させることができるため、食材の鮮度保持が抜群で、生魚との差などまったく感じられないレベルなのだそう。日本酒においても、以前の技術では冷やすのに時間がかかり、アルコールと水が分離して風味や味わいが損なわれる、瓶が割れるなどのリスクがありましたが、瞬間凍結はこれらのデメリットを解消し、冷凍前の味わいをそのまま楽しむことができるため、まさに「時を止める」ことができる技術といっても過言ではないと著者は語っています。この技術によって、特に注目されているのが生酒であり、この「凍眠」の技術により、国内外を問わず、しぼりたての生酒をそのままの品質で提供することが可能になる道が開けたのだというのです。特に海外市場に当たり前に生酒を届けられれば、市場が一気に伸びていく可能性も夢ではないと著者は語っています。私も、しぼりたての風味そのままの生酒が世界中で堪能できるような時代が来れば、日本酒の輸出量は一気に増加することになると思っていますので、今から楽しみでなりません。 【門前編】「酒ビジネス」を読んでの抜粋と補足説明<前編>(PDF形式:265KB)