【門前編】「世界観をつくる」から日本酒業界を考える!<中編>

First part of the gate

【門前編】「世界観をつくる」から日本酒業界を考える!<中編> 前回からは、前中後編の3回にわたって、「世界観をつくる~『感性×知性』の仕事術~」(山口周・水野学著朝日新聞出版・朝日文庫2025年12月30日発行900円+税)をベースとした内容を取り上げていますが、今回はその「中編」です。 [Ⅱ.物語をつくる] 【ターゲットはベン図の全体にいる】 まず水野氏は、仕事上で企業に「ターゲットは?」と聞くと、「25歳から35歳の女性」というような答えが多いが、そんな雑なターゲットなんてないと指摘します。山口氏は、遠山正道氏が「スープストックトーキョー」を立ち上げたときのエピソードを挙げるのです。三菱商事の社内ベンチャーとして遠山氏が出した企画書は、「スープのある一日」という物語で、マーケティングの4Pみたいなものは全く無く、田中さんという女性がスープを飲んでホッとするという物語だったのだといい、起業の過程で「秋野つゆ(37歳)」という細かい設定になったのだとか。この世界観はスープストックで今も共有されており、迷ったときは今もそこに立ち返っているのだといいます。遠山氏は慧眼で、事業をつくるときに世界観を立ち上げた、人と共有するための物語をつくったのだと、山口氏は語るのです。 さらに水野氏は、ターゲットを鮮明にするためによく使うのは、ターゲットがどんな雑誌を読んでいるかだといいます。雑誌が売れない時代でも、まだ有効な手法なのだというのです。たとえば、文房具メーカーとの仕事で、ターゲットは「文房具が好きな主に20代後半から40代前半の女性」と言われたのですが、それでは漠然としていて伝わらないのだと。そこで、ターゲットは「&Premium」を読んでいる女性がいいのではと提案したのだといいます。山口氏も、「ターゲット」というのは、その文房具を使う人の物語で、主人公は「&Premium」を読んでいる女性であり、ターゲットを考えるとは、主人公のパーソナリティを考える作業なのだというのです。どんな商品でも、一つの物語、ショートムービーのように世界をつくってみるのだといいます。すると、そのストーリーの中で主人公の女性は、開発中の文房具を使うだけでなく、どの街のどんな部屋に住んでいて、どんな家具があって、どんなランチを食べて、服はどこで買っていて、みたいなことまで具体的に考えざるを得なくなるのだというのです。自分とは別のパーソナリティをつくり出して、客体化した世界観を立ち上げることが大切で、そこにはある種の憧れみたいなものも含めていくことになるのだといいます。そして、ここまでは「意味をつくる」という話をしてきましたが、「物語をつくる」というのも、これからのビジネスの大きな鍵になると思うと語るのです。 さらに山口氏から、ターゲットを明確化すればするほど市場規模が小さくなり、企業の人たちはそれを嫌がりませんかという質問が出されます。これに対して水野氏は、ターゲットは必ずいくつかの円の重なり合い、複雑化したベン図(集合関係を視覚的にわかりやすくした図のこと)なのだというのです。たとえば「『嵐(芸能人)』を好きな人のグループ」という大きな円があって、それに「『&Premium』を読んでいる人のグループ」という円、さらに「スープストックをよく利用する人」の円が重なるとすると、重なった中心部分がコアターゲットですが、ターゲットは三つの円すべて、ベン図全体を目指しているのだといいます。ここで水野氏は、2005年に担当した、永昌源の「杏露酒(シンルチュウ)」のリニューアル広告の事例を挙げるのです。甘くてオシャレなリキュールであってもお酒ですから、ではお酒をたくさん飲む女性はと考えると、飲み会や一人飲みが好きな人かなと考え、当時の雑誌「Ray」のイメージが一番それっぽかったといいます。そのため、「Ray」の専属モデルだった香里奈さんを起用したのだと。「JJ」「Cancan」「ViVi」「Ray」と並べて4誌を比べたら、その頃はお酒好きが「Ray」であり、地方都市の若いママも読んでいそうだったのだというのです。メーカーとしては「あまりお酒を飲まないオリーブ少女を狙いたい」と言っていたのですが、もともと飲まない人に売っても数字は上がらないのだと。だから水野氏は香里奈さんを起用して、めちゃくちゃ「Olive」っぽいトーンの広告にしたのだといいます。ベン図のすべての円がターゲットという理論そのもので、コアターゲットの「Ray」な女性をしっかり取りながら、ふんわり系のオリーブ少女に刺さるかわいさを演出してターゲットを広げたのだというのです。 【世界観を伝えるには?】 山口氏が電通時代、先輩方から教えられたのは、「広告の究極の目的は、その人にとっての商品の意味合いを変える」ことだったのだといいます。自分にとって全然関係ないと思っていた商品やサービスが、広告によって自分と関係あるものに変わる、つまり意味づけが変わるということで、「広告は究極的に意味をつくっていくこと」だと感じたというのです。しかし、今のテレビCMは基本15秒で、「役に立つ」なら伝えられますが、「意味がある」は最低30秒か1分ないと成立しないのだといいます。そして水野氏は「房総バケーション」というJRのCMの例を挙げています。小泉今日子さんが「潮風が呼んでいる~」と歌い、「房総バケーション」と言うだけ。それでものんびり電車に乗って房総に行きたくなる、その世界観の中に入りたくなるのだというのです。世界観をプレゼンテーションすることで、行きたいと思わせてしまうCMであり、それはまさに房総という場所の意味づけなのだといいます。ラグジュアリーの物差しで比べたら房総はハワイに全然勝てないけれど、「本当に懐かしい」「夏休みってこうだよね」という感覚が、見ている人の心の中に自分ごととしてよみがえる……たとえその人が玄界灘で育っていてもですよ(笑)と語るのです。 水野氏は、広告はいま過渡期を迎えているといい、情報があふれているため、みんな自分にとって価値がない情報は脳内でシャットアウトする癖がついているのだといいます。出稿量の多いCMですら、「見た記憶はあるけど、何のCMか覚えていない」という現象が増えているのだと。しかし反対に、自分にとって「意味がある」と思えば、自ら検索してわざわざ情報を取りに来てくれるのだと語るのです。さらに水野氏は、自身が関わっている相鉄グループから、2019年11月末の都心直通にむけて、テレビCMをつくりたいと持ちかけられた話を語ります。水野氏は、「この予算でのテレビCMは無駄になるだけ。絶対にやめましょう」と止め、その予算で「100YEARSTRAIN」というタイトルの約3分半のウェブムービー(大正・昭和・平成・令和それぞれの時代の電車内が舞台の物語)をつくったのだというのです。水野氏の最も重要な仕事は二つで、一つは「テレビCMをやらない」こと、もう一つはムービーの中から「告知情報」を徹底的に排除することだったのだといいます。要は「役に立つVTRにしない」ことで、情報ではなく、相鉄が伝えたい「世界観」をVTRにしたかったのだというのです。都心直通の「情報」はニュースなどで必ず流れるので、直通のタイミングで発信するムービーは、ブランディングだけに集中すべきだと思ったのだと。結果、約3分半のVTRの中に出てくる文字情報は「100年の想いを乗せて」「相鉄は都心直通」の2行が入った一枚テロップだけで、情報が異常に少なかったのだといいます。相鉄側も元々は、〇駅まで乗り換えなしで行けるとか、情報量の多いCMを考えていたため、相当戸惑ったようですが、最終的にはOKになったのだというのです。そしてこのムービーは公開と同時にSNSで話題になり、YouTubeの再生回数も100万回、300万回と伸び続けたのだといいます。観た人たちの感想も熱烈で、「感動した」「相鉄が好きになった」「相鉄沿線に住みたくなった」などの反応がSNS上にあふれたのだというのです。水野氏は、そうやって噂になると、口コミでさらに広がるのだといいます。観た人の心に「刺さる」ものは、みんな自分からわざわざアクセスして、情報を取りに行ってくれる、こちらから情報をバラ撒かなくても、伝えたい情報が自然と広がっていくのだというのです。 【物語のつくり方・二つのアプローチ 】 山口氏が、デザインの本質は人格を与えることだと語ったあと、水野氏は、どんな商品であれ企業であれ、「コアターゲットは絶対に存在しなければならない」と思っていると語り、それは人格をつくっていく作業の骨組みだからなのだといいます。人格をつくることは、幹をつくることでもあり、幹から枝葉を広げて、世界観をつくっていくのだというのです。山口氏は、「文学作品を読んで、そこから人を立ち上げる」という小林秀雄氏の言葉を挙げ、ブランドもこれと似ているのだといいます。逆のやり方で、まず人を設定して、そこからストーリーを展開して世界観をつくるやり方もあるのだというのです。これを受けて水野氏は、コアターゲットを決めて、その人を主役にしたショートムービーのシナリオを書くような作業ですねと語ります。そして、それは誰かに教えたりできることですかと質問するのです。山口氏は、やり方は教えられますと応えます。幹さえあれば、枝葉は簡単に広がっていくのだというのです。パーソナリティを規定するものはいろいろありますが、それを一つひとつ考えてみてもいいのだと。たとえば食べ物の例を挙げれば、「好物はトンカツ」という人と、「鴨のコンフィが大好き」という人は、全然違うタイプなのだといいます。そして水野氏は、よく「~っぽい分類」というのをやるのだというのです。靴下のブランドをつくるとなったら、靴下って「北半球っぽいか、南半球っぽいか」「未来っぽいか、現代っぽいか、昔っぽいか」など、対象物とはかけ離れた別のものになぞらえて、「~っぽさ」を探ってみるのだといいます。そうすると、そのモノ自体にどんな魅力があるのかが浮き彫りになってきて、デザインやブランディングの方向性がクリアになっていくのだというのです。山口氏も、ブランドづくりが上手な人とは、映画のワンシーンの中における文脈をつくれるかどうかだと語っています。水野氏の言う「ぽさ」の精度を上げていける人なので、必ずしもカッコいい文脈ではなく、ときには武骨な文脈、かわいい文脈もあるでしょうと。文房具でも自動車でも家電でも、それが使われる世界を、物語のプロットとして考えてあげて、芯が立つと、人の心に届くのだといいます。レリバンシー(関連性)が生まれて「あ、これ、私が使う文具だ」と欲しくなるのだというのです。 山口氏は、物語のつくり方には二つのアプローチがあるのだといいます。一つは自分でストーリーをつくって、それを織り込んでいくアプローチ、もう一つは既にあるストーリーの世界観をレバレッジするアプローチだというのです。後者でうまくいっている事例に、山口氏は「007」を挙げています。ジェームズ・ボンドといえば貴族の大金持ちの息子で、両親は登山中の事故で亡くなっていて、莫大な遺産を受け継いでいる。容姿端麗、スポーツ万能、頭脳明晰で、あらゆる仕事が簡単すぎてつまらないため、英国諜報部に勤めていて、一番危険な仕事をやりたがる……。この世界観があれば、無限にストーリーがつくれるのだというのです。原作はイアン・フレミングの小説で、そこにボンドはアストンマーティンを愛好していると既にあるのだといいます。それが映画3作目の「ゴールドフィンガー」から秘密兵器を搭載した車として登場し、アストンマーティンは確固たるブランドになっていくのですから、明らかにアストンマーティンは「007」という既にあるストーリーの世界観をうまくレバレッジしたからブランドになったのだというのです。さらに山口氏は、マティーニがカクテルの中でも図抜けたのは、「007」の世界観のレバレッジだと思うと語ります。マティーニは通常はジンをベースにステアするのですが、ボンドはジンをウォッカに変えて、ステアではなくシェイクで頼むのだと。この「こだわり」がいかにもジェームズ・ボンドで、あえて「ど真ん中」は頼まず、少し外したところに自分のこだわりがあるのだというのです。そして、イアン・フレミングがつくり出した世界観は60年代の文化、社会、風俗がベースになっており、初代のショーン・コネリーの頃は、アストンマーティンもマティーニも、ロンドンのオーダーメイドの仕立て屋のスーツも、全部が調和した世界観だから、そのまま持ってきても違和感はなかったのだといいます。その後、95年に5代目がピアース・ブロスナンになったとき、ボンドのキャラクター設定をいったん全部書き出したうえで、「これは踏襲する、これはアップデートする」というのをやったらしいというのです。これを受けて水野氏は、原型はヘリテージ(遺産)として持ってきて、時代に合わせてアップデートというのは、魅力を保ち続けているブランドや企業は、どこもそれをやっていると思うと語っています。おっしゃる通りと語り山口氏は、アストンマーティンは既に古臭いイメージになっていたため、ボンド・カーはBMWに変わり、スーツもブリオーニに変わったのだというのです。ここで議論になったのが「スキーかスノボか」。元の設定は「ボンドはオリンピック代表候補のスキー選手」ですが、これからはスノボという時代に変わっていた。議論の末にたどり着いたのが、「やっぱりボンドはスキー」となったのだそうです。山口氏は、アップデートは必要ですが、やりすぎて間違えるとシリーズの人気は下がっただろうといいます。ジェームズ・ボンドの設定要素を並べたときに、「スキーをスノボにするのは違う」と判断できることが、世界観を守ることだし、世界観を構築するヒントだと思うと語るのです。 また水野氏は、ブランド力のある企業は、レバレッジをかける「元となる物語」すら自分たちでこしらえてしまうところもすごいのだといいます。たとえばエルメスだったら、「馬具づくりから始まってバッグをつくり始めて」という、実際にやってきた情報を蓄積してストーリーにしているのだというのです。さらに、ジェーン・バーキンに「バーキン」というバッグをプレゼントしたのは、エルメスが「エルメス物語」を自らつくったことだと思うし、そこにレバレッジをかけているのだといいます。山口氏も、世界観はとても分かりやすくて、いったん豊かな世界観をつくると、自立的に育っていくのだと語るのです。 【世界観をつくるには?】 水野氏はこれまで、「ブランディングとは?」というとき、「見え方のコントロールだ」と言っていたそうですが、「世界観をつくること」と説明したほうが分かりやすく、受け入れられやすいと感じたのだといいます。そして山口氏は、パリの本屋「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を取り上げるのです。文芸書ばかり扱っていて、店員は「文学を志しているけど、まだ食えません」みたいな人たちで、彼らが住み込みで働けるよう上の階はアパルトマンになっているのだといいます。蔵書の種類、外観やインテリア、店のつくりはいくらでも真似できますが、この世界観はコピーできないのだというのです。また水野氏は、レモンサワー発祥の店と言われる居酒屋、祐天寺の「ばん」を取り上げます。集まってくるのは、スタイリストやデザイナーなど、業界系の人たちなのだと。客はおしゃれ系なのに、「ばん」は赤ちょうちんに紺の暖簾で、外にはビールケースが山積み、中は煙モクモクで、車で言うならあえて10年ぐらい前の型落ちしたボロボロのスカイラインに乗っているのがカッコいいみたいな世界観だと語るのです。そして、何が言いたいかといえば、世界観は「おしゃれを目指す」と決めて完璧に構築していくやり方と、あえて外すことで逆におしゃれにするやり方があるのだと語っています。そして、ブランドでも商品でもお店でも、「どんな世界観にしたいか」をまず徹底的に考えることがスタートだといい、そのときつい不安になって、保険のために余計なものをくっつけてしまうとうまくいかないのだと。ここというポイントを絞って、そこにそぐわないものは排除する勇気を持てば、世界観がくっきりと浮かび上がり、結果としてコアなファンもついてくれるのだというのです。 山口氏は、おしゃれを足しておしゃれにするのではなく、おしゃれを引いておしゃれにするというのは、まさに利休がやっていたことだと指摘します。水野氏も、竹をスパンと切って、そのへんに咲いている朝顔を投げ入れてポンとかけておくとか、と表現するのです。そして、日本のミニマリズムが世界で評価されているルーツは、利休の世界観かもしれないのだといいます。利休の美意識は、単にすべてそぎ落としたストイックさとは違うのだと。長次郎の樂茶碗は、釉薬のあとも残し、いびつに歪んでいて、人の手の痕跡、素材自体の美しさ、自然の偶発性みたいなものをあえて残しているのだというのです。これは、森羅万象に神を感じるという日本古来の考え方が土台になった、日本独自の美意識でしょうと語っています。「不足の美」……利休はそれを「侘び茶」によって完成させたのだというのです。 水野氏は、完璧なものを築き上げていくというブランディングなら、エルメスやハリー・ウィンストンなどのブランドを挙げますが、しかし普段使いされるような店やモノは、外しみたいなことが必要だと感じるのだといいます。これに対して山口氏は、エルメスは外しもうまいのだというのです。数年前、パリのサントノーレを歩いていたら、大量のシャボン玉が飛んでいたのだといいます。その光景はまるで映画のシーンを切り取ったように美しかったのですが、それはエルメス本店のイタズラで、まさにパリのエスプリだと思ったのだといい、それ自体がエルメスの世界観だというのです。そして水野氏は、茶の湯の世界でいうところの「景色」を挙げ、日本人は庭をつくったり、器を含めた全ての機微に至るまで全部美しく揃えられた景色をつくるのも、ものすごく好きで得意だったのに、最近の世界観の実例がバルミューダや良品計画くらいしか挙げられないのが残念だと指摘します。山口氏も、月見はただ月を見るだけでなく、水面に映る月を眺め、杯に映る月も愛でて、みんなでお酒を飲むような遊びをやっていた人たちが日本人ですと語るのです。 【「物語をつくる」から日本酒業界を考える】 ここまでの「Ⅱ.物語をつくる」の内容から、ここからは日本酒業界について考えてみたいと思います。まず、「スープストックトーキョー」の世界観「スープのある一日」という物語は、そのまま「日本酒のある一日」という物語として焼き直して考えることができるでしょう。たとえば、こんな感じでしょうか。架空の女性客「糀谷もろみ」の一日の物語をショートムービーのように描き、働く女性の日常に「安心・安全」な美味しい日本酒でホッとする時間を提案する。その内容を一言で言うなら「共感」で、我が社(メーカーor酒類卸or酒販店or飲食店)は日本酒を提供しているが日本酒屋ではない。日本酒は共感のための軸であり、日本酒に共感して集まってきたお客様に自分たちは日本酒を提供して、共感の関係性ができれば、日本酒が別の物や別のサービスになっていったりする。一杯の日本酒で、誰かの一日や一生を変えることができるかもしれない、日本酒という飲み物の持つ力を届けたいと考えている。また、「女性が1人で気軽に入れる日本酒店(メーカーor酒類卸or酒販店or飲食店)がほとんどない」という課題に対する解決策も提示する。既に店が成功している未来を想定し、リアルな一日を描き出す。……という感じになるのではないでしょうか。 次に、ターゲットは複雑化したベン図という部分についても、日本酒で考えてみましょう。たとえば、この日本酒のターゲットは、雑誌「天然生活」を読んでいる40代の女性で「BTS」が好きという設定ならば、丁寧でナチュラルな暮らし方をしながらも、K-POPアーティストにトキメキを感じているという女性の姿が、鮮明に浮かび上がってきます。そんな女性が好きな酒類は、自然派ワインと日本酒なら純米酒でしょうが、ガチガチの純米酒派というほどではなく、少しフルーティな香りを持った辛口の純米酒が好みというイメージでしょう。そうすると、40代女性で「『天然生活』を読んでいる人のグループ」と、「BTSが好きな人のグループ」と、「ほんのりフルーティな辛口純米酒が好きな人のグループ」という、三つの円が重なった中心部分がコアターゲットですが、ターゲットとしては三つの円すべて、ベン図全体を目指すということになるわけです。 そして、今まで日本酒に全然興味がなく、自分にとってまったく関係ないと思っていた日本酒という存在が、自分と関係があるものに意味合いが変わる瞬間というのは、いったいどのようにして生まれるのでしょうか?それは、本書の二人の著者に言わせれば、その日本酒が飲まれている世界を、物語のプロットとして考え抜き、芯を立たせ、人の心に響かせるということになるでしょう。関係性が生まれて、「なるほど。こんな日本酒なら飲んでみたい!」「あ、コレ、私が飲むべき日本酒だ!」となるような、世界観を伝えるということです。例として、創業慶長8(1603)年の司牡丹酒造を相鉄グループに倣ってブランディングするなら、「400YEARSSAKE」というタイトルが考えられます。さらにそこに、土佐の偉人たちとの関わり、日常のホッとするひととき、春夏秋冬の季節の楽しみ……等々を加えれば、次のような物語が考えられるのではないでしょうか。 江戸時代初期、桜が満開の土佐のお城下の春。山内一豊と妻・千代が花見をしながら土佐酒(司牡丹)を酌み交わしている。料理は旬の山菜や貝料理など。その時、風に吹かれて舞った桜の花びらが、二人の杯にヒラリと舞い降りる。ハート型のような花びらのアップ。笑顔で見つめ合う二人。……時代は進み、幕末。土佐の高知の暑い夏を涼むため、仁淀川の滝を訪れた坂本龍馬と妻・おりょう。川の流れに浸けて冷やしておいた徳利を「つめたいっ!」といいながら嬉しそうに持ち上げるおりょう。龍馬は川原で鮎を焼いている。そして二人は、滝の水しぶきを浴びながら、鮎を肴にキーンと冷えた土佐酒(司牡丹)を楽しそうに酌み交わす。……さらに時代は進み、明治時代。板垣退助と妻・絹子が二人で、月の名所・桂浜にて中秋の名月の月見の宴を堪能している。七輪で松茸を焼きながら、板垣にぬる燗の土佐酒(司牡丹)のお酌をする絹子。退助から杯を返され、土佐酒が注がれた時、その杯に名月が映り込む。杯の名月を愛でながら微笑み合う二人。……さらに時代は進み、昭和へ。吉田茂と妻・喜代が冬の土佐の高知のお座敷で、鍋料理を堪能している。大根おろしタップリの出汁にブリをサッとくぐらせ、その大根おろしとともにいただく、ブリのしゃぶしゃぶ。これを取り分け、土佐酒(司牡丹)の熱燗をお酌する喜代。ふと外に目を向けると、土佐の高知では珍しい、牡丹雪が降り始めた。「まあ、珍しい。大きな牡丹雪」と喜代。「酒の名のとおりじゃのう」と茂。「積もるかしら?」「この鍋の大根おろしくらいは積もるかもしれん。期せずして雪見酒になったのう」……微笑み合う2人。……そして現代、令和の時代、土佐の高知の春らんまん。樹齢約500年の「ひょうたん桜」の古木が満開に咲き誇る。その木の下で、花見をする何組かのカップルの中に、花見弁当をつまみにワイングラスで土佐酒(司牡丹)を楽しんでいる2人がいる。その時、風に吹かれて舞った桜の花びらが、二人のグラスにヒラリと舞い降りる。ハート型のような花びらのアップ。笑顔で見つめ合う二人。……「飲み手の心を豊かにし続け、春夏秋冬四百余回。そして、さらにその先へ……」というコピーで締める。……一例ではありますが、このような物語のショートムービーをつくれば、多くの人々がわざわざ情報を取りに来てくれる可能性は充分あるといえるでしょう。 本書にて、茶の湯の世界でいうところの「景色」……日本人は庭をつくったり、器を含めたすべての機微に至るまで全部美しく揃えられた景色をつくるのがものすごく好きで得意だったという、水野氏が語った世界観。そして、月見はただ月を見るだけではなく、水面に映る月を眺め、杯に映る月も愛でて、みんなでお酒を飲むような遊びをやっていた人たちが日本人だという、山口氏が語った世界観。このような豊かな世界観を日本酒に取り戻すことが、我々が、日本名門酒会(メーカー・本部・支部・加盟店)が次に成すべきことだといえるのではないでしょうか。