【門前編】ツウにも誤解が多い日本酒ネタの真実を語る!
今回は、ツウと呼ばれるような方やマニアの方であっても、誤解している場合が多いと思われる日本酒ネタについて、詳しく語らせていただきたいと思います。
<誤解が多いネタ➀:日本酒のアルコール添加、糖類添加をどう捉えるか?>
ワインツウの方から、「日本酒は醸造酒なのにアルコール添加したり、糖類添加したりしている。それは世界的には醸造酒ではなく、リキュールになる。だから日本酒はニセモノだらけだ!」といった指摘を受けることが、たまにあります。これに対してどう答えるのか、という問題です。まずは、この「アルコール添加」や「糖類添加」の問題について、取り上げましょう。
「酒道黒金流」の「ヤヤコシイ日本酒基礎知識を30分×2で簡単に獲得!<前編>」の講義を思い出してください。酒類は、製法によって「醸造酒」「蒸留酒」「混成酒」の3つに分けられるというトピックがありました。まず醸造酒とは、糖質を酵母の働きによってアルコール発酵させて造ったものです。簡単に説明すると、お酒(酒類全般)は全て、まずは糖分がないと出来ません。この糖分が大好きな酵母という微生物が、あちこちに潜んでおり、これが糖分が多いところで繁殖するのです。この酵母が糖分を食べて、アルコールと炭酸ガスを排泄すると考えて下さい。「酵母が糖を食べて出たウンチがアルコールだ!」と言ったらちょっとモンダイかもしれませんが・・・とにかく、これが「発酵」なのだと、説明してましたよね。日本酒、ワイン、ビールなどが、この醸造酒になります。次に、蒸留酒とは、醸造酒を蒸留させたものです。アルコールの成分というのは、水よりも低い温度で蒸発します。ですから醸造酒の温度をだんだん上げていけば、アルコールの成分から先に蒸発していくわけです。この蒸発する成分は、上にフタがあればそこに水滴になって付着します。風呂屋の天井みたいなもんです。このアルコールの水滴を集めれば、元の醸造酒よりもアルコール度の高いお酒がとれます。これが蒸留酒です。ですから誤解を恐れずに簡単に言ってしまうと、日本酒からできる蒸留酒が「焼酎(米焼酎)」であり、ワインからできる蒸留酒が「ブランデー」であり、ビールからできる蒸留酒が「ウイスキー」である、ということなのです。最後に、混成酒とは、醸造酒または蒸留酒に香料・草根・糖質などを加えたものです。これはもう、いろんなバリエーションが考えられます。様々な種類があるリキュールがそうです。
味醂や合成清酒なんかも混成酒です。とにかく世界中のあらゆる酒類は、この3つ、「醸造酒」「蒸留酒」「混成酒」のどれかに入ります。
ここまでの説明のみから考えると、ワインツウの方の指摘は、至極もっともなことのように思われます。つまり、米と米麹と水を原料に、酵母によって発酵させたもの(つまり一般に言う純米酒)だけが醸造酒であり、醸造アルコールや糖類を加えたら、それは混成酒になるのではないかと、そういう指摘なわけです。そして私自身も実は、日本酒の本来の姿は「米と米麹のみで造られたもの」であると考えています。ですから考え方の基本的な方向としては、私もこのワインツウの方と同じであるといえます。しかしながら、このワインツウの方の指摘の中には、「ワインは本物だが、日本酒はニセモノだらけだ」という考え方が潜んでいますから、その点につきましては、「酒道黒金流」の開祖としましては、はっきりと反論させていただきたいと思います。なお、このような「ワインは本物だが、日本酒はニセモノだらけだ」という考え方は、かつて大人気であった某ウンチクグルメ漫画にも登場していますから、この漫画の引用なども氾濫しており、いつまで経っても無くならないのです。なかなか困った問題なのだと言えるでしょう。
では、この問題に対しての回答は、まず「国によって法令は違う」という、あまりに当たり前の事実の指摘から入らせていただきます。日本における日本酒の製法は、日本の法令によって定められており、原料の一部に醸造アルコールや糖類を一定量使用することが認められています。ですから、アルコールや糖類を使っていても醸造酒になるわけです。これは日本だけ、日本酒だけに限ったことではありません。たとえばビールの本場であるドイツにおいては、麦芽とホップ(と水)以外を使ったらビールとは表示できませんが、日本やアメリカなどの他国においては、コーンスターチなどの副原料を使ってもビールになります。国によって法令が違うわけですから、違いがあって当然なのです。ちなみにワインにおいても、シャンパンなどのスパークリングワインの造り方は、実は瓶内二次発酵の際に、瓶内に糖分を含んだリキュールを添加しているのです。発酵の際に炭酸ガスが発生しますから、その炭酸ガスを瓶内に封じ込めればスパークリングワインはできるはずですが、そうしないでリキュールを添加するのはなぜなのかと、私は某シャンパンのシャトーに見学に行った時に質問したことがあります。その答えは、たった一言。「その方が美味しいからだ。」というものでした。つまり、シャンパンも糖分を含んだリキュールを添加しているのに醸造酒になっているということなのです。これはなぜかと言うと、国(シャンパンならフランス)によって、法令で認められているからということなのです。
さらにこの問題に深く切り込んでみましょう。実は、ワインは単行発酵の醸造酒であるため、天候などの影響で原料のブドウの糖度が通常より低かった場合は、美味しいワインを造ることが難しくなります。そのため、ワインの醸造においては「補糖」(糖度の低い果汁に糖を添加すること)が認められているのです。国によって法令が違いますので、国によってその添加量などに違いはあるようですが。そして、その補糖については、ラベル等に表示の義務はないというのが一般的なのです。この事実を知ったなら、今回のワインツウの方の「ワインは本物だが、日本酒はニセモノだらけだ」という考え方は、間違っていると言わざるを得ないでしょう。確かに日本酒は、醸造酒なのに醸造アルコールや糖類などが使用されている場合があります。しかし、それらは全て原材料に表示されているのです。つまり、それがイヤなら表示を見て避けることが可能なのです。一方ワインでは、少量ではありますが「補糖」と称して糖類添加を認めており、さらにその表示義務はないというのです。つまり、それがイヤでも、表示を見て避けることができないのです。これについて私は、「だからワインはニセモノだらけだ!」と言うつまりは全くありません。単行発酵の醸造酒で、原料の果実の糖度が低ければ、美味しいものを造ることは極めて難しいということを知っているからでもありますし、何よりそれがその国の法令で認められているのですから。しかし、もし「ワインは本物だが、日本酒はニセモノだらけだ!」と語る方がいたならば、この事実を語らせていただくというだけのことなのです。
私自身は、先にも述べた通り、日本酒の本来の姿は「米と米麹のみで造られたもの」であると考えており、基本的には純米酒が好きです。司牡丹酒造の純米酒比率も年々アップしており、いまや60%程度の純米酒比率(純米吟醸酒・純米大吟醸酒含む)となっています。
しかし、土佐の高知の返杯・献杯やお座敷遊びなどの際には、本醸造酒や普通酒をガンガン酌み交わすことも好きですし、大衆居酒屋などでホルモンなどのチープなツマミを食べながら普通酒の燗酒をキュッとやる瞬間が、いかにサラリーマンの皆さんにとって大切なひとときであるかということも、よく分かっているつもりです。要は、純米酒が日本酒本来の姿ではあるかもしれませんが、本醸造酒や普通酒には、純米酒にはない大衆的な良さがあると考えているのです。そして、生活者の皆さんにとっては、ラベルなどの原材料表示を見て、TPOによってそれらを自由に選び分けることができるということが、日本酒の素晴らしさのひとつであるとも考えているのです。
<誤解が多いネタ➁:日本酒の「手づくり」とは?>
マニアの方からたまに受ける質問に、「御社は手づくりですか、それとも機械づくりですか?」というものがあります。そして、この手の質問者の方はたいてい、「手づくりは伝統的な職人技を継承している芸術的な日本酒であり、機械づくりはオートメーションで工業製品的な日本酒だ」という二者択一しかないという思い込みがあります。さらに、前者は個性的で素晴らしい日本酒であり、後者は画一的で凡庸な日本酒であると考えている場合が多いようです。しかし、実は現実には、どこの酒蔵でもある程度は機械づくりが入っているのです。たとえば、「精米」の工程については、今も手作業で精米したり、水車を使って精米しているという蔵は、まずないでしょう。それでは高精白は不可能であり、吟醸酒を造ることはできなくなりますから。つまり、竪型精米機という機械を使わなければ、吟醸酒は造れないのです。ちなみに、「ウチの蔵は全て手づくりで、機械は1台も入っていません。」と語る蔵元がいたとしたら、それは精米機を持っていないため自社精米をしておらず、外部に委託精米してもらっているということになり、精米の技術については自社で保有していないということになるのです。
次に、「洗米」の工程を取り上げてみましょう。今から30年ほど前は、最高ランクの大吟醸酒に使う精米歩合40%以下まで磨いたような米は、機械で洗うことができなかったため、どこの蔵も手洗いでした。杜氏がストップウォッチ片手にスタートの合図を出し、蔵人総出で手洗いの作業をし、杜氏が米の水分吸収の状況を見極めてから、再び蔵人総出で水を切るというような作業です。いかにも伝統的な職人技と言えますが、実はこの一連の工程は、誤差だらけだったのです。どれほどの天才杜氏であったとしても、洗米の作業は1人ではできません。大勢の蔵人を使って洗米しなければならないのです。寒い冬に冷たい水で手洗いしますから、どうしても蔵人によって洗い方に誤差が出ます。さらに、たとえストップウォッチで秒単位の時間を計っていたとしても、全て同時に大量の米の水を切ることはできせんから、ここでも誤差が出ます。手作業のままでは、この誤差を無くすことはできなかったのです。それが、近年開発された洗米機を使えば、これらの誤差を無くすことができるようになったのです。まず、空気と一緒に米洗いを行うことで、手洗いよりきれいで割れにくく、誤差なく洗えます。さらに、重量を計りながら洗いますから、米の水分吸収率がひと目で分かり、水切りも瞬時に行えますから、ここでの誤差も無くなります。これらの誤差を無くすことにより、洗米後の酒米の品質は格段にアップすることになります。この早い段階での品質アップは、「蒸し」「製麹」「酒母」「仕込」「発酵」等の、その後の全ての工程に影響します。つまり、醸される酒の品質アップに、大いに貢献するということなのです。
ではこの洗米機さえあれば、誰でも簡単に最高の洗米ができるのかというと、そうではありません。酒米は品種によって性質が違いますし、毎年の気候によっても溶けにくかったり溶けやすかったりとその性質は変わります。これらを見極め、さらにどういう麹を造りたいか、どういう酒を醸したいかによって、洗い時間をどうするか、水分吸収率をどうするか・・・等々を、杜氏が判断しなければなりません。伝統の匠の技は、ここにあるのです。洗米機が行っていることは、手洗いでは無くすことのできなかった誤差を無くすことにあり、そのための道具として使われているというだけのことなのです。さて、ではこの場合、これは手づくりでしょうか、機械づくりでしょうか?もしこの洗米機が、たとえばAI搭載などにより、自動で米の性質を見極め、洗い時間や水分吸収率も自動で判断してくれるというものであれば、それは手づくりではなく間違いなく機械づくりになるでしょう。つまり、誤差を無くすためなどの道具として機械を使っているならばそれは手づくりであり、見極めたり考えたり決断したりすることまで機械まかせにした時、それは機械づくりになるのだと考えています。これは、洗米に限ったことではなく、酒造りの全ての工程についても、これと同様のことが言えるのだと、私は考えているのです。
<誤解が多いネタ➂:日本酒のマーケティングをどう考えるか?>
地酒蔵元や地酒専門店やマニアの方々に至るまで、かなりの方々がよく語るセリフに、「いい酒さえ造っていれば(あるいは売っていれば)、マーケティングなんて必要ない!本当にいいものなら、必ずいつかは売れる!」といった類のものがあります。この言葉だけを聞くと、確かにその通りだと感じてしまう方が少なくないかもしれません。しかし、私はこの手の言葉や考え方の流布によって、相当な数の地酒蔵元や地酒専門店が潰れてしまったのではないかと考えています。さらに、この手の考え方の普及が、日本酒業界の長期に渡る低迷の大きな原因のひとつになっていると、本気で思っています。ですから、これまで誰も取り上げてこなかった、「日本酒のマーケティング」について、ここではあえて取り上げ、真実の姿をしっかりと伝えさせていただきたいと考えています。
まず問題なのは、特に日本においては、「マーケティング」という言葉が、最も誤解されて伝わっているビジネス用語の代表であるということです。実際、第一線でバリバリ活躍されているビジネスパーソンの方であっても、「マーケティング」という言葉を、「市場調査」(マーケティング・リサーチ)や「広告宣伝」「データ分析」などの意味で使っている人も少なくありません。また、マーケティング会社の中には、「テクニックを弄して、巧みに言いくるめ、売りつける」ようなことを、「マーケティング」と称している会社も、現実には存在していることも事実です。そのようなことなどが原因で、一般的な方々にとっての「マーケティング」に対するイメージも、「テクニックを弄して、巧みに言いくるめ、売りつける」ものであると誤解してしまう方々が後を絶たないのです。ですからまずは、「マーケティング」の本当の意味について、しっかりと伝えさせていただきたいと思います。Wikipediaで調べますと、「マーケティングとは、企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、『顧客が真に求める商品やサービスをつくり、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする』ための概念である。また顧客のニーズを解明し、顧客価値を生み出すための経営哲学、戦略、仕組み、プロセスを指す。」と記載されています。これでは、何だか分かったような、分からないような難しい表現ですので、別の視点からも見てみましょう。経営学の大家であるピーター・ドラッカー氏は、「マーケティングの理想は、販売を不要にするものである。」と語っています。つまり、お客様に「買ってください!」とプッシュしなくても、お客様から自然に買いたくなる状態をつくるためには、お客様のニーズに合った商品を、適切なターゲットに向けて発信していくことが大事であるということです。すなわち、「マーケティング」を簡単な一言で表現すれば、「商品(やサービス)の、お客様にとっての真の価値を伝え、『売れる仕組み』をつくること」であると言えるでしょう。と、いうことは、「マーケティングなんて必要ない!」と語っている地酒蔵元や地酒専門店の方は、「自分が売ろうとしている商品の真の価値を、お客様に伝える必要なんてない!」と断言しているのと同じことになるということなのです。ちなみに、アメリカの経済学者フィリップ・コトラー氏は、かつての「会社視点」(製品を販売する)のマーケティングを「マーケティング1.0」、次の段階の「顧客視点」(消費者を満足させる)のマーケティングを「マーケティング2.0」、さらに次の段階の「社会のあるべき姿を実現する」というマーケティングを「マーケティング3.0」と呼び、今後は「マーケティング3.0」が主流となるであろうと語っています。もはや「会社視点」の「マーケティング1.0」は、昔の古びたマーケティングなのです。
しかし、この問題にはもうひとつ、ちょっとヤヤコシイ問題が潜んでいるのです。それは、マーケティングで成功した当の本人(や企業)が、その事実について語ることはほとんどないということです。私はこれまで、自身のblogやFacebookや講演や情報紙などで、結構マーケティングの重要性などについて語ってきていますが、ある時、マーケティングの専門家と称する方から、「蔵元は、マーケティングについては語らない方が得ですよ。マーケティングは隠しておいて、造りなどのこだわりについてだけを徹底して語っている方が、本物の美味しいお酒を造っている蔵だと見られるんです。」と指摘されたことがあります。考えてみますと、これまで人気銘柄となった蔵元で、「マーケティングのお陰で売れました!」何てことを語っている蔵元など、まず見たことがありません。そりゃあそうでしょう。私だってテレビや雑誌などに取材されたら、酒造りについてのこだわりを、ここぞとばかりに語り続けるはずですから。しかし、実は「このこと」自体が「マーケティング」になっているのだということに、気づかなければなりません。つまり、テレビや雑誌などに取材されて、酒造りのこだわりなどについて語るという行為そのものが、自社の「マーケティング」になっているのです。商品が売れた背景には、実は必ず優れたマーケティングが存在しています。しかし、特にメーカーはそれを隠したがります。なぜなら、「いい商品をコツコツと造り続けていたから売れました」と語った方が、ウケがいいですし、その方が本物らしく見えますし、カッコいいからです。しかし、地酒蔵元や地酒専門店はプロなのですから、そんなことを真に受けてはいけません。それを真に受けて、「いい酒さえ造っていれば、いつかは売れるんだ!」と本気で信じてしまい、「いい酒」を造っていながら、「いい酒」を売っていながら、結局は潰れてしまった地酒蔵元や地酒専門店が、いったいどのくらいあったことか!「いい酒造りをしている」ということを、お客様にとっての真の価値を、しっかりと伝える行為、それが「マーケティング」になっているのだということに、もういい加減に気づかなければならないのです。
日本酒の人気銘柄は、数々の伝説が流布されています。そこには、確かにいい酒造りへのこだわりが満載です。しかし、よく考えてみてください。その伝説をなぜあなたが知ったのでしょうか?蔵元から直接聞いた方もいるかもしれませんが、そういう方はごくわずかで、大半の方々は、地酒専門店や銘酒居酒屋や、テレビや雑誌などのマスコミなど、どこかから伝え聞いて感動し、今も覚えているということなのではないでしょうか。何度も言いますが、それこそが「マーケティング」なのです。かつて一世を風靡した「越乃寒梅」は、雑誌「酒」の編集長だった佐々木久子さんが、昭和38年の「週刊朝日」に「幻の酒」と表現したことをきっかけに、そこから大ブームになったのです。「越乃寒梅」の石本酒造さん自身は、これを「マーケティング」だと思っていなかった可能性が高いですが、佐々木久子さんという影響力を持つキーマンにしっかり情報を伝えたという行為が、実は最高の「マーケティング」であったということなのです。そして、その後の人気銘柄も、実は全てがほぼこれと同様のパターンをきっかけにして人気銘柄に育っていったのです。もちろん、いい酒造りをしていることや、品質についてのこだわりがあるなどというのは当然のことで、それは大前提です。しかし、「いい酒さえ造っていれば、いつかは売れるんだ!」などと思っていたとしたなら、そんな悠長な考えでは、誰かが気づいてくれる前に、先に潰れてしまいかねない、もはやそういう時代なのです。ですから私は、取材やインタビューを受けた際には、余裕があればできる限りマーケティングの話題も語らせていただくように心がけています。なぜなら、もうこれ以上、いい酒造りをしている蔵元や、いい酒を販売している地酒専門店にマーケティングを誤解してほしくない、潰れてもらいたくないからです。
最後にもうひとつ、お伝えしたいネタがあります。確か2年ほど前ですが、星野リゾートの星野社長がテレビ番組「がっちりマンデー」で、「マーケティングを棄てました」と語っていたことがあります。この言葉に、「あの星野社長ですらマーケティングを棄てたのだから、もはやマーケティングの時代は終わったんだ!」と語っている経営者の方もいたほどです。テレビの影響力というのは、まだまだ凄いものがあるんだなと実感したわけですが、皆さんならもうお分かりですよね。そうです。星野社長が「マーケティングを棄てました」とテレビ番組で語るという行為そのものが、星野リゾートにとっての最高の「マーケティング」になっているという事実に、気づかなければならないのです。こういう言葉を、そのまま真に受けていてはいけないのです。星野社長は、このことを分かっていながら、わざと語っているはずです。そう語った方がお客様のウケがいい、つまり「マーケティング」になるからです。そして、日本酒の人気銘柄の蔵元インタビュー記事などにも、同様の傾向が見てとれます。大手ナショナルブランドの日本酒などを、「マーケティングが先行した商品」といった表現を使って、「大量生産の工業製品的で画一的な日本酒」というようなイメージを植え付けようとしている場合が多いようですが、この矛盾も皆さんならもうお分かりでしょう。そうです。その蔵元がインタビュー記事でそう語っていることそのものが、その蔵元にとっての最高の「マーケティング」になっているのです。ならば、「マーケティングが先行した商品」という表現を使ったなら、自社もそこに入ってしまうのではないでしょうか。
通常、こういう話をする蔵元はまず皆無でしょうし、他の企業でも特にメーカーの方は、まず語らないネタでしょう。しかし、私はこの事実を是非とも多くの方々に知っていただきたいのです。なぜなら、この話題が広がることによって、本物の「マーケティング」が日本において誤解されず堂々と語られるようになり、それが、胡散臭いニセモノの「マーケティング」を排除することにもつながり、さらに「いい酒」を造っている、「いい酒」を売っている、地酒蔵元や地酒専門店が、潰れてしまうことを未然に防ぐことにもつながり、さらにさらに日本酒業界全体の長期低迷からの復活にもつながっていくのだと、私は信じているからです。