【門前編】白隠禅師との出会い、「口は幸せのもと!」、そして酒道と呼吸法

First part of the gate

【門前編】白隠禅師との出会い、「口は幸せのもと!」、そして酒道と呼吸法

今回は、「酒道黒金流」の発想の原点ともいえる、白隠禅師(はくいんぜんじ)との出会いについて、そして私のブログのタイトルにもなっている「口は幸せのもと!」の意味について、さらに「酒道」にどうつながっていくのかなどを、お話しさせていただきましょう。

<不思議な縁に導かれた白隠禅師の掛け軸との出会い> 以前にもお話ししましたが、私は土佐の高知の酒蔵の息子として生まれながら、日本酒が苦手でした。東京の大学時代は寮に入っていましたが、イッキブームで先輩に飲まされ、ツラい思いをし、日本酒が嫌いになりました。そのため東京で異業種に就職したのですが、その中で美味しい日本酒もあるのだと気づき、平成2年に酒蔵に戻ることになります。ところが高知ではまだ苦手だった燗酒での献杯・返杯が主流で、またもツラい時期が続きます。その後、様々な料理とのマッチングの楽しさに気づき、いろんなタイプの日本酒が好きになっていくのですが、入社して3年ほどは、まだツラい時期でした。そんな時期に、たまたま白隠禅師の掛け軸に出会ったのです。 司牡丹酒造の敷地内に、「ほてい」と呼ばれている建物がありました。私の入社当時は物置になっていましたが、昭和62年には佐川町指定文化財となっている歴史ある建物です。もともとは、親戚の竹村仁作(にさく)という方が、ここで昭和初期頃から料亭を経営していました。かつて仁作は、京都で骨董貿易商「布袋商会」を経営しており、「ほていさん」と呼ばれていたため、料亭の名もいつしか「ほてい」となったようです。昭和16年に仁作没後は、妻の為(ため)と養女の藤(ふじ)が引き継ぎ、為没後は藤が引き継ぎ、昭和53年まで営業されていました。ちなみに料亭とはいっても、一般客を取ったわけではなく、文人墨客の集う司牡丹酒造の社交クラブのようなものでした。仁作、為、藤と受け継がれた風流人の心が、「ほてい」を半世紀にわたって、土佐の酒文化の発信基地にしていたのです。 これを知った私は、何とかこの「ほてい」を、料亭ではなくアンテナショップとして復活させたいと考えるようになります。しかし社内外に反対意見もあり、思うようには進みませんでした。そんなあるとき、物置となっていた「ほてい」内に入り、ホコリを被った山積みの荷物の中から、掛け軸の入った桐箱を発見します。その桐箱には白隠禅師の名があり、中には何と「布袋」画の掛け軸が入っていました。その瞬間、これは何としても「ほてい」を復活させようと決心することができたのです。その後、社内外の調整や、店内の掃除や改装に奔走し、平成8年6月、旧「ほてい」が店仕舞いしてから18年、伝統を受け継いだ「司牡丹酒ギャラリーほてい」が、生まれ変わって復活したのです。「ほてい」は、司牡丹の商品をズラリと並べて試飲販売するアンテナショップとしてのみならず、工芸作家の方々の酒器や和の小物なども併せて展示販売する、酒のある場と季節を提案するショップとして蘇り、また「酒のミニ図書館」も併設した座敷は、床の間には白隠禅師の「布袋」画の掛け軸が飾られ、「酒造りビデオ」を鑑賞したり、様々な「集い」を開催できるスペースとして活用され、運営されるようになります。そして現在、「酒道黒金流」の動画を毎回撮影しているこの場所は、その「ほてい」の座敷であり、私の後ろの床の間には必ず、ご覧の通り白隠禅師の「布袋」画の掛け軸が掛けられているのです。ちなみに、「ほてい」のオープンにあたっては、店名である「ほてい」文字の看板を、竹村家の菩提寺でもある「青源寺(せいげんじ)」住職の生玉(いくたま)和尚に依頼しました。佐川町の「龍淵山青源寺」は臨済宗妙心寺派の寺院で、司牡丹酒造の創業と同じ慶長8年(1603年)創建であり、白隠禅師の書画も所蔵されています。現在の臨済宗の系統はすべて白隠禅師の流れをくんでいるため、白隠禅師は臨済宗中興の祖と言われており、仏の教えや人生訓などを伝える絵や歌を1万点以上も全国各地に遺していると言われています。このことから、当社所蔵の「布袋」画の掛け軸も、おそらく本物であろうと推定しました。何より、この掛け軸を眺めていると、心が穏やかになり、気分が晴れたり、癒されたりして、何ともいえない清々しさを感じることができるのですから、私自身は本物であると信じています。そこから私は、白隠禅師に関する書籍や、禅に関する書籍を読みあさるようになります。そして、「三道」と総称される、「茶道」も「華道」も「香道」も、すべて禅から派生して、日本を代表する伝統文化となったのだと気づきます。さらに、かつて「酒道」なる「道」も存在しており、江戸時代末期に消滅したことを知ります。そんな流れの中で、いつかは「酒道」を復活させ、「ほてい」を「酒道の聖地」にしたいと、おぼろげながら考えるようになっていったのです。 <「口は幸せのもと!」という着想!> そして平成16年4月、私は「『風土食(ふうどフード)』が、人生を健康で楽しく豊かにする!」(〜あなたを真に幸せにする、食と日本酒の「春夏秋冬理論」〜)という冊子を自社出版します(現在絶版)。この冊子は、白隠禅師に関する書籍(このとき、白隠禅師が「呼吸法」の源流的存在であったことを知ります。)や禅に関する書籍、そして永田農法の永田照喜治先生から学んだこと(永田農法と永田先生についての詳細はまた別の機会に。)などをベースに書かれたものです。その内容のメインとなっている「食と日本酒の春夏秋冬理論」とは、「酒道黒金流」では「あなたの『好き!』に、日本酒が答える!」の「季節感や旬が好きなあなたへ」にて紹介されている内容であり、「日本の食と日本酒・旬の一覧表」にまとめられていますので、詳しくはこちらをあらためてご覧ください。
https://shudo-kurogane.jp/shudo/gate01/02.html
「人に良い」と書くと「食」になります。そして「食に欠かせない」と書くと「飲」となります。「食べ物」は人間にとって良いものであり、「飲み物」はそんな「食」に欠かせないものだということです。そんな「食べ物」も「飲み物」も、口から入るものです。考えてみると人間の口は、入るものが二つあり、出るものも二つあります。入るもののひとつが「食べ物」と「飲み物」、つまり「飲食」であり、もうひとつは「吸う息」(※実際の呼吸法では吸う息は「口」ではなく「鼻」からではありますが。)です。そして出るもののひとつが「吐く息」であり、もうひとつは「言葉」です。このあたりは、白隠禅師の教えの中にあった「呼吸法」が大きなヒントになりました。これらの、口から出入りする4つとも自分の意志で、ある程度コントロールすることができます。この4つを自分の意志で、良い方向にコントロールすることができれば、私たちはもっともっと、健康で楽しく豊かになり、真に幸せになれるのではないだろうか?私はこのように考えるようになっていきます。「口は災いのもと」ということわざがありますが、口から出入りするこの4つを、自分の意志で良い方向にコントロールすることができれば、実は「口は幸せのもと」なのではないか?幸福は、実は「口福(こうふく)」が基本なのではないか?・・・そのような考えに至るのです。そして平成17年、老舗日本酒蔵元「司牡丹」社長が語る裏バナシblog「口は幸せのもと!」というブログがスタートします。以来16年に渡って、現在も毎日アップされていますので、宜しかったらご覧ください。尚、近年はこのブログと同内容をFacebookにもアップしておりますので、そちらからの読者の方が増えてはいますが。ちなみに、このブログにおいては、「食べ物」と「飲み物」と「言葉」に焦点を当て、あえて「呼吸」については外していました。そして長期化するコロナ禍において、私はいよいよ「酒道黒金流」を創始し、専用サイトを立ち上げます。そんな中で「心を燃やす練習帳〜不安がなくなる白隠禅師の教え〜」(斎藤孝著ビジネス社2020年12月15日発行1,300円+税)という書籍に出会い、あらためて白隠禅師と向き合うことになり、「呼吸」の重要性をあらためて知ることになったのです。 「酒道」とは、「日本酒を媒介とした『もうひとつの道』」ですから、「食べ物」と「飲み物」については当然欠かせません。また、「道」を伝えるためには当然ですが「言葉」が欠かせません。「呼吸」について語ることが、「酒道」にとって必要なことなのかどうかは、正直迷いました。しかし、「酒道黒金流」の原点が白隠禅師にあり、「口は幸せのもと!」という考え方をベースとしているならば、「呼吸」について語ることも必要なのではないかと考えました。そして何より、この長期化するコロナ禍で世の中に蔓延している不安を、少しでも和らげたり癒したりするために、白隠禅師と「呼吸」についてを伝えることが、きっと役立つはずだと考えました。ただし、私は「呼吸法」について、自身で実践をしてはいますが、ヨガ教室の先生などのような「呼吸法」のプロではありませんので、その点につきましては、あらかじめご了承ください。 <心を燃やす練習帳〜不安がなくなる白隠禅師の教え〜> ここからは、著書も多数でテレビでもお馴染みの明治大学教授・斎藤孝先生の「心を燃やす練習帳〜不安がなくなる白隠禅師の教え〜」(斎藤孝著ビジネス社2020年12月15日発行1,300円+税)の内容を、ご紹介させていただきましょう。まずあらためまして、白隠禅師とは、この書籍のオビに書かれている通り、ジョン・レノンやピーター・ドラッカーやサリンジャーなどなど、世界中の人々に多大な影響を与えた「500年にひとりの名僧」で、著者の斎藤先生も、若い頃に白隠禅師に救われたひとりであると語られています。さらに、「はじめに」には、次のように書かれています。なかなか終わりが見えないコロナ禍で、誰もが漠とした不安を抱えて過ごしているなか、どうやって現実と折り合いをつけて、なるべく心を乱さず生きていけばいいか悩んでいる。ところが、すでに250年以上も前の江戸時代に、こうした不安との向き合い方に答えを出していた日本人がおり、それが臨済宗中興の祖と言われる白隠禅師なのだと。 さらに斎藤先生は、そんな白隠禅師と、コロナ禍で空前の大ヒットを記録したアニメ映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」との不思議な共通点についても語られています。まずこの映画のキャッチフレーズは、「心を燃やせ」ですが、まさに白隠禅師が不安や悩みを乗り越えて世のため人のために尽くすことができた理由も、常に「心を燃やし続けたから」だと言うのです。さらに、白隠禅師といえば「呼吸法」の元祖として知られていますが、「鬼滅の刃」の主人公たちの強さの根本も呼吸にあります。また、白隠禅師にはもうひとつの特徴として、その絵柄や文章にも表れた、そこはかとないユーモア混じりの「軽やかさ」があると指摘しています。これらのことから、白隠禅師の教えは、コロナ禍における不安を乗り越えるためにも、ウイズコロナ、アフターコロナ時代を生き抜くためにも、とても役立つはずと断言されているのです。 さて書籍の内容は、「Q&A」形式で書かれており、大変読みやすいものになっています。たとえば、「Q:なぜ人はだれもが不安を感じてしまうのか?」という質問に対し、「A:実はそれは、人間にとって必要な感情だからです。」という答えが示され、その後に詳しい解説が入るという構成になっています。不安な気持ちがあるから、それが注意を呼び起こし、人は失敗や危険を回避するように行動することができます。不安は自分自身を守るための貴重な情報源と言い換えられるかもしれません。しかし、そんな不安が、やがて「焦り」や「緊張」に変化すれば、もはや心と体にとって害悪になります。斎藤先生は、前者の不安を「正常な不安」、後者を「こじらせた不安」と名付け、後者の不安は未然に防がなければならないと語るのです。そして、実は白隠禅師は子供の頃、この「こじらせた不安」の典型だったというのです。近所のお寺で地獄についての説法を聞いて、その恐怖心にとらわれて泣き止まなかったそうで、これがトラウマになったようなのです。この子供時代の白隠禅師が地獄という得体の知れない不安にからめとられてしまったように、いま私たちも、ただでさえ先が見えない世の中で、物理的にも目に見えない新型コロナウイルスの蔓延により、得体の知れない不安にからめとられてしまっています。ならば、そんな不安と、私たちはどう向き合っていったらよいのでしょう。斎藤先生はここで、白隠禅師の説いた「正念工夫(しょうねんくふう)」を挙げるのです。「正念工夫」とは、喜怒哀楽などの雑念が生じる前の状態のことで、心をまっさらな状態にして、あるがままのものを見ることを意味しています。もちろん日々、あふれ返るほどの情報を取り入れている私たちにとって、バイアスをはさまずに物事を判断しろと言われても、かなり難しいことでしょう。ですから、せめて少しの間だけでも正念工夫すべく、そっと目を閉じて情報を遮断してそして改めて、自分にとって大事なもの、欲しいもの、守りたいもの、反対にやりたくないこと、恐れていることを考えてみましょうと提案されるのです。こうして正念工夫を続け、自分の内側を見つめ直してみると、自分が本当に何を望み、そして何に対してムダにおびえていたのか、自分の心が選んでくれるはずだというのです。そこで浮かび上がってきたものこそが、自身が抱える不安の正体なのだと。白隠禅師は、「坐禅和讃(ざぜんわさん)」の中で「当所即ち蓮華国(とうじょすなわちれんげこく)」という言葉を記しています。蓮華国とは、極楽、つまり最高の状態ということ。つまり、「いま自分がいる状態が極楽と感じられるならば、それこそが人生における一番の幸せじゃないか」という意味です。浮かび上がってきた不安の正体は、おそらくほとんどが自分という内側ではなく、他者という外側からの情報で定義される、「幸せ」からこぼれ落ちたものではないかと、斎藤先生は語っています。そして、白隠禅師が説いた真意は、幸せ、そして不安などは、外の価値判断で決まるものではなく、あくまで自分の内側で感じるもの、ということなのだと語られるのです。 <簡単な心の調整法「数息観」> 次に斎藤先生は、得体の知れない不安に襲われたときなどにちょうどいい、簡単な心の調整法として、白隠禅師の「数息観(すそくかん)」を紹介しています。そのやり方は、以下の通りです。 ➀心静かに落ち着ける姿勢をとる。理想は、胡坐(あぐら)のように足を組んで腰で床に座る坐禅のポーズ。
➁目をつぶりながら、自分の息の出入りを静かに数えていく。ポイントは息の数え方。まず口からの吐く息に合わせて、心の中で「ひと〜〜」と少し長めに数え、「つ」で軽く鼻から吸うとリズムが出る。
➂続けて「ふた〜〜」と吐き、「つ」で吸う。息のテンポと数え方は、自分のやりやすいやり方でよい。
➃このとき、何も考えず「呼吸そのもの」だけに集中すること。すると頭や心に巣くっていたネガティブな感情から意識が離れていくので、自然と心が落ち着いてくる。

実際に白隠禅師が健康法を説いた著書である「夜船閑話(やせんかんな)」では、腹を空かして静かな状態で坐禅を組み、1から1,000まで数えると、体も心もじっと動かず煩悩もなくなり、天地宇宙のすべてと溶け合って一体感を覚え、心身ともに清らかになると表現されています。しかしこれは、仏門修行をしているから達せられる境地でしょう。私たちはそこまでしなくても、「とお」まで数えるだけでも、ずいぶん心が落ち着きますと、斎藤先生は語られています。 <白隠禅師流健康法の基本「丹田呼吸法」> かつて白隠禅師は、連日厳しい坐禅修行にのめり込み過ぎたため、26歳のときに「禅病」にかかってしまったといいます。当時の様子は次のように記されています。「心火逆上し、肺金焦枯して、雙脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し・・・。」これを現代語に訳すと、「激しい不安や心配ごとのため、心臓は火がついたようにバクバクし、肺の血液が枯れ果てたように苦しい。足先は氷のように冷たく、両耳は川が流れているようにザーザーと耳鳴りが止まない・・・」となります。さらに、凄まじい病状についてが続いて記載されています。「いつも気が弱った状態で、何かしようにも恐ろしさが伴い、行動に移すことができない。心身は衰弱し、悪夢を見るため安眠できない。常に脇の下には汗をかき、目にはずっと涙が浮かんでいる」といった状態だったというのです。白隠禅師は、この強烈なダメージを、薬や鍼灸で治そうとしたものの一向に改善しないため、名医を探し回り、様々な治療法を試みたといいます。それでも改善の兆しはなく、絶望していたところ、京都の山奥に白幽という仙人がいることを聞きつけ、ワラにもすがる思いで訪ねるのです。そして白幽仙人は、「あなたは心の使い方を誤ったために病人になった。心気を気海丹田(きかいたんでん)に降ろす真の呼吸法をしなければ、どんな治療を受けようとも快復はしない。すべての心配ごとを切り捨て、無観になりなさい。」と語ったといいます。無観とは、頭、心の中を空っぽにすること。無心といってもいいでしょう。反対にいろいろと思い、考えてしまうことを「多観」といいます。では、白幽仙人が白隠禅師に伝えた「真の呼吸法」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。それが「丹田で呼吸すること」、「丹田呼吸法」です。斎藤先生は、次のようにまとめて紹介されています。 ➀丹田とはへそ下5センチあたりのこと。息を吸うときに、そのあたりに呼気がとどまるように十分意識して、鼻から息を吸います(3秒程度)。丹田に空気をためていくイメージ。胸で呼吸をしないように、姿勢よく。
➁そのまま息を止めます(2秒程度)。
➂そしてゆっくり口から息を吐きながら、丹田を意識します。(15秒程度。難しければ10秒から。)ここが特に重要。
➃この1セットを6回程度やることが理想。

このような「丹田呼吸法」により、1回の呼吸で体内に取り入れられる酸素の量は、無意識に呼吸しているときよりも、はるかに増えることになります。さらに、へその下を意識して呼吸をすると、そこに力が入りますから、お腹の中の圧力も高まり、血液が心臓に強く送り返され、全身の血液循環も活発になります。さらには、鼻から入る息と口から出る息双方に意識を集中することにより、自律神経にもよい影響を与えるので、心が落ち着く効果も得られます。このように、斎藤先生は語られています。さらに、丹田呼吸法は、ただへその下あたりを意識して呼吸するだけですから、難しいことなど何もする必要はありません。日頃から丹田に気をため、そこから酸素を循環させることをイメージして深く呼吸していけば、心身の調子も自然と整っていきます。それが白隠禅師流健康法の基本であると語られているのです。私も、あらためてこの「数息観」や「丹田呼吸法」を実践してみて、明らかに心身ともに調子が良くなることを実感しています。何も難しいことはありませんので、是非実践してみられることをお薦めいたします。